抜粋:大堀 on 中断節

大堀壽夫, 言語的知識としての構文──複文の類型論に向けて,坂原茂 (ed.) 『認知言語学の発展』,pp. 281-315, ひつじ書房, 2000.

4. 4. 日本語においては依存関係をもった節の後置は会話体でよく見られるが,構文スキーマとしてさらに興味深いのは,「から」節等が単独で,つまり主節なしで生起するケースである:

(77) まったく,誰もわかりやしないんだから


ここでは,理由を表わすと思われる節がその「結論」なしで発話されている.依存関係をもった節が主節を伴わずに出る構文を Ohori (1995b,1997) は中断節 (suspended clause) と呼んでいる.接続構造のパラメターとしては,主節の省略の有無ということもできるが,注意すべきは (77) が構文スキーマとして独自の意味をもっているという事実である.ここでは「から」節は必ずしも何かの出来事に対する理由をあたえているわけではない.むしろ「から」はその節の出来事が話し手にとって重要な関わりをもつことを示しており,聞き手の共感をうながすはたらきをもっている.ある出来事 A に対して理由Bを与える談話上の理由の一つは,A の重要性を示すことである.ところが「から」の中断節では A がオープンのまま,B だけが話し手のコミットメントとして示される.


 中断節にはこの他に次のような例がある (Itani 1993,白川 1995, Iguchi 1998):

(78) お茶が入りましたので
(79) 声をかけてくれれば行ったのに
(80) 私もいい歳です


ここで注意すべきは,中断節という構文的枠組みが与えられると,元来幾通りかの解釈をとりうる接続が,一定の解釈に限定されるという事実である.例えば,「し」接続は中断節にならない時は,(81) のように理由の解釈をもつ場合と (82) のように並列ないし緩やかな対照を表わす場合がある:

(81) 私もいい歳ですし,この仕事は引き受けられません.
(82) 私もいい歳ですし,主人は間もなく定年です.


ところが (80) のような中断節においては,構文的意味として「理由」が与えられ,解釈がより限定される.(80) を (81) と関係づけることはできても,(82) とは無理がある.それは省略の推論による復元においても,構文的知識が解釈の際にはたらいているからである.このような特性は,構文的なフレーム効果 (framing effect) と呼ぶことができる.図式化すると (83) のようになる:


要約すれば,中断節という構文スキーマには,推論集約的な (inference intensive) 意味関係を優先的にとるという解釈手続きが付与されている.具体的には時間的連鎖や並列ではなく,理由や譲歩(ないし期待に反する出来事)と解釈される傾向がある.