「累積否定」
先日のエントリ「自分の読解力がわからなくなる:「脱童貞」でおk?」への追記で,"Nobody got nothing" は「何も得られない者などいないのだ」ではなくて「誰もなんにも手に入れなかった」(="Nobody got anything")と解釈した方がいいですよ,と書きました.
もしかすると,「否定語の nobody と nothing が2つあるのにそれはおかしい」と感じる方もおられるかもしれません.しかし,これは必ずしも例外的なことではありません.この例のように否定語を2重,3重に重ねて否定の意味を強めるのを「累積否定」(cumulative negation) と言います.
これについて,安藤貞雄『現代英文法講義』は簡潔にこう記しています(p.665):
現代英語でも,累積否定は,ロンドンの下町言葉 (cockney) やアメリカの黒人英語 (black English) などの非標準語 (non-standard) に普通に見られる (Huddleston & Pullum 2002: 846).
(3) a. I don't hemploy no women now. (Shaw, Candida)
(わしは,いまは女は雇っておらん)[hemploy = employ の過剰修飾,I は cockney の話し手][二重否定]
b. No one never said nothin'.
(誰も何も言わなかった)[三重否定][=No one ever said anything.]
c. I never did no harm to nobody. (Elmer Rice, The Adding Machine)
(あたしゃ,誰にも危害を加えたことなんかねぇだよ)[三重否定][=I never did any harm to anybody.]
(同書にはイェスペルセンとカームからの引用でフランス語・スペイン語・ドイツ語の累積否定の例も挙げられており,英語のみの現象ではないことが窺い知れます.)
これをちょっと頭においておくと,思わぬ誤解を防止できると思います.
もう少し詳しく知りたい方には,たとえば中右実『認知意味論の原理』(大修館書店,1994年)の第8章「二重否定の発想と論理」が参考になるかと思います.
- 作者: 安藤貞雄
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ISBN:9784469211887:detail
■英語(を含む自然言語)は論理的でない,というわけではないです
命題論理学についてご存じの方(とくに,大学に入って初歩的な論理学の手ほどきを受けた方)は,こうした事実をみて「英語は論理的じゃないのか」と思うかもしれません.
と言いますのも,命題論理ではある命題pの真理値が「1」(真)のとき,否定「〜」を1つつけるとひっくり返って「0」(偽)になり,さらにもうひとつ否定を重ねると再び「1」になると教わるからです.
p 〜p 〜〜p 1 0 1 0 1 0
──というわけですね(「P ⇔ 〜〜P」を「二重否定律」(law of double negation) と言います).
さて,上記でみたとおり,英語の否定は必ずしもそのようにはなっていません.ですが,だからと言って英語が論理的でないわけではありません.また,命題論理学がおかしいわけでもありません.たんに「命題論理の否定演算子は自然言語の否定語とちがう」というだけのことです.あるいは「自然言語の否定は命題論理よりもややこしくできている」と言ってもいいでしょう.こうした事実はどちらを貶めるものでもありません.
A Natural History of Negation (The David Hume Series)
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★関連エントリ:"Negated, or not" - Christopher Potts @ Language Log