西山佑司「デカルト派言語学」:「創造性」に関する注意点
いま読んでいる「概念とは何か?」で言われている「創造性」に関連して,少しだけ注意点:
第一節で見たように、変形生成文法は無限の文を生成できるような回帰的機構をもっている。したがって。変形生成文法で規定される有限の知識をもっている話し手は、原理的には、無限の多くの文を作ったり理解したりできるはずである。このように、チョムスキーの言う「人間言語の創造性」というものを無限の文の生産可能性と解釈するならば、この意味での創造性は、結局、生成文法がもつひとつの特性である「回帰性」ということに帰着しそうである。いいかえれば、この意味での言語の創造性は生成文法の回帰的な規則によってこそ把握され、説明される、ということになる。チョムスキーの言う言語の創造性をこのように解釈してきた言語学者はすくなくない。ところが、チョムスキーは、人間言語の創造性を文法の回帰性の問題に帰着させる解釈をはっきりと否定している。彼はパレとの対談のなかで次のよう述べる。
パレ あなたのいわれる創造性という概念は、生成可能性以上のことを意味していますか。
チョムスキー わたくしが「言語使用の創造的側面」と呼んできたものを、それとまったく別のもの、つまり、文法の回帰的な特性と混同する傾向が見られますが、残念なことです。そこには概念上の混同、つまり、本質的には言語能力と言語運用の混同が見られます。わたくしは「言語使用の創造的側面」という術語を、言語使用のある性質、言語行動のある側面を指すつもりで使ってきました。……
文法の回帰的性質は言語使用の創造的側面にたいする手段は提供しますが、両者を混同することは、たいへんな誤りです。でも言語学者のなかには実際、混同しているひとがいます。
ここで重要なことは、チョムスキーが人間言語の創造性と言うとき、それはあくまで、言語運用のレベルの問題であって、言語能力の問題ではない、としている点である。文法の回帰性云々はあくまで、言語能力のレベルの話であるから、言語の創造性の問題を、たとえ「無限の文の生産可能性」や「改新性」に限定したところで、文法の回帰性の問題に還元できない、ということになる。回帰機構を備えた文法は言語の創造性の基礎は与えるかもしれないが、文法自体は、「人間がいかにして、有限の手段を用いて、無限の文(と構造)を作り出したり、理解するか」を説明することはできないのである。その意味で、人間言語の創造的側面のひとつである、言語の改新性の問題は、変形生成文法理論によって説明しつくされうる、とは言えないのである。
(pp. 252-3)