クリップ:ジェフリー・ナンバーグ「意味の転移」(Transfers of meaning)
レイコフらの認知意味論で脚光を浴びて久しい(20年以上ですか)隠喩・換喩ですが,ほぼ同じ現象について彼らとは異なる分析を提示している研究者にジェフリー・ナンバーグがいます.彼が「述語転移」(predicate transfer) の仮説についてある程度まとめて論じたのが下記の論文です:
Nunberg, Geoffrey, "Transfers of meaning," Journal of Semantics 12: 109-132. (PDF)
アブストラクト
「意味の転移」とは,同じ表現を使って種別の異なる事物を指示するのを可能にする言語の仕組みである.本稿は述語転移を論じる.これは属性の名称がそれと関数で対応する属性の名前に変えられる操作をいう.'I parked out back'(「俺は後ろに(車を)停めてあるよ」)という発話で述語の parked out back が新たな意味をもつようになるのは,この仕組みによるものであり,また,体系的な多義に現れる語彙的な交替にもこれが関わっている.述語転移は2つの一般的条件にしたがう.この条件により,基本的な属性と派生された属性は関数で対応せねばならず,また,派生された属性はそれを担うものの「顕著な」(noteworthy) 特性とならねばならなくなる.述語転移に訴えることによって,統語的同一性の非常に厳密な定義を維持できることを本稿は論じる.統語的同一性により,あらゆる「種別の交差」(sortal crossing) は排除される.種別の交差とはひとつの名辞が同時に2つの種別の事物を指示するようにみえることをいう.たとえば,'Ringo squeezed himself into a tight space'(リンゴは狭い場所に体を押し込んだ)のような例では再帰代名詞は〔Ringo でなく Ringo's car を指示しているようにみえるが,統語的同一性により〕その先行詞〔Ringo〕と厳密に同一指示となる.
ナンバーグが考えている述語転移とはどういうものか,このアブストラクトにも挙げられている例文でかんたんに解説を加えておきます.
Ringo squeezed himself into a tight space.
この例文は,「リンゴ・スターが車を狭い場所に押し込むように停車した」くらいのことを意味しています.ひろく受け入れられている換喩での説明にしたがえば,この再帰代名詞は Ringo と同じヒトを指示しているのではなく,それと関連のあるリンゴ・スターの車を指示しているのだとされます(所有者→所有物).これに対し,ナンバーグは himself の指示対象が所有者から所有物へ転移しているのではない,と主張します.そうではなく,述語の squeeze x into a tight space の意義 (sense) が通常のものから転移している,というのです:
Whereas what I am suggesting here is that himself in a sentence like (39) actually refers to Ringo, so that the reflexive and its antecedent are coreferential in a strict sense. What is transferred is the sense of the expression 'squeeze x into a tight space'.
(私がここで提案しようとしているのは, (39) のような文で himself は現にリンゴ・スターを指示しているのであり,それゆえにこの再帰代名詞とその先行詞は厳密なイミで同一指示となっている,ということだ.転移されているのは表現 'squeeze x into a tight space' の意義の方なのである.)(p.122)
述語 squeeze x into a tight place の意義が転移するとは一体どういうことかと言いますと,言語表現はまったく同じでありつつ,squeeze x into a tight place の意義が通常の P から P' に転移するということです:
- P: 「(x)を狭い場所に停車した」
- P':「(x)の所有する車を狭い場所に停車した」
転移しているのはあくまで述語の意義であって himself の指示対象ではありませんので,このとき,名詞 Ringo と再帰代名詞 himself が同一指示でなくてはいけないという制約は守られています.
ここで注意すべき誤解は,「ナンバーグは指示対象の転移を否定して述語転移を提唱した」というものです*1.じっさいには,ナンバーグは名詞句の指示対象が転移していると考えるべきケースと,述語が転移していると考えるべきケースの両方を挙げています:
1. This is parked out back. (指示対象が転移)
2. I am parked out back. (述語が転移)
それぞれ順番にみておきます.
発話 (1) は話し手が車の鍵を相手に示しつつなされているという状況設定で,「鍵→鍵に対応する車」という転移(換喩)が生じていると考えられます.ナンバーグはその証拠を3つ提示しています.
第一の証拠は,文法的な数の一致です.話し手が示している鍵は1本で,それに対応する車(駐車されている車)は複数あるとき,主語は複数形となります:
1'. These are parked out back.
述語が転移しているのであれば,こうなる必然性はありません.
第二に,文法的な性のあるイタリア語でも同様の証拠がみられます:
文脈:「鍵」(la chiave, 女性・単数) をかかげて,それに対応する「トラック」 (il camion, 男性)を指す.
Questo (男性・単数) e parcheggiato (男性・単数) in dietro.
'This (男性) is parked (男性) in back.'
鍵ではなくトラックに一致していることがわかります.
第三に,指示対象が転移しているという分析を支持する証拠として,車についての述語は等位接続できるけれども鍵についての述語は等位接続できないという対比が挙げられています:
4. This is parked out back and may not start.(これは後ろに駐車してあるんだけど,エンジンがかからないかもしれない)
5. ??This fits only the left front door and is parked out back.(これは左側のフロントドアにしか合わないよ.後ろに駐車してある.)
以上から,(1) の発話 'This is parked out back' では指示対象が転移していると考えられるわけです.
他方,発話 (2) にはそのような分析ができません.
まず,文法的な数を指示対象に合わせて複数にできません:
6. We are parked out back.
また,話し手が男性で停めてあるのが「車」(la macchina, 女性名詞)であるとき,「ぼくは後ろに駐車してある」をイタリア語で言うと,形容詞の文法的性は男性となり,女性にはできません:
7. Io sono parcheggiato (*parcheggiata, 女性・単数) dietro
したがって,主語の指示対象が「車」に転移しているとは考えにくいわけです.
さらに,等位接続をみても,ヒトである「私」についての述語は等位接続できますが,車についての述語は等位接続できません:
8. I am parked out back and have been waiting for 15 minutes.
9. *I am parked out back and may not start.
以上から,発話 (2) では述語転移が生じているという分析が支持されます.
ナンバーグの用語法では,指示対象が転移している発話 (1) は「遅延された指標的指示」(deferred indexical reference) といい,述語の意義が転移している発話 (2) は単純に「述語転移」といいます.
さて,じゃあ,その述語転移はどんな条件のもとでなされうるのか,という問題が当然でてきます.これについてナンバーグは「顕著さ」(noteworthiness) が述語転移には要求されると主張しています:
述語転移の条件(意訳を含むので注意)
πとπ' がそれぞれ顕著な転移関数 g_t: π→π' で関連している属性の集合であるとする.
このとき,集合πの要素である属性 P(P∈π)を表示する述語 F があるなら,F と同じ綴りをもち属性 P' を表示する述語 F' が存在する.
F' の表示する属性 P' は,P に対して転移関数 g_t が返す出力である:P' = g_t(P)
(p. 112)
抽象的にはこういう条件なのですが,具体的にはどういうものか――そのへんはもう疲れたのでw,省略します.論文の pp.112-115 あたりをご参照ください.
*1:なお,「ナンバーグもレイコフらと同じく指示対象の転移=メトニミーを提唱した」という誤解は論外です.