クルーグマン「子供のためを思って」(2012年6月6日)

Paul Krugman, "Think of the Children," June 6, 2012)

どこぞのうぬぼれた評論家や政治家が「支出を増やして雇用を創出するわけにはいかない,それでは我々の子供たちに重荷を課すことになるからだ」と言うのを耳にするたび,腹が立つ――こういうレポートがあるからだ:

いまの世代の若者たちにとって,未来は暗澹たるものだ.フルタイムで働いているのは,6人に1人にすぎない.5人に3人は,親元や親類のもとで暮らしている.大多数(73パーセント)は,キャリアで成功するにはもっと教育が必要だと考えているが,そのうち半分しか来年かならずどこかに入学する予定はないという.


といっても,彼らはギリシャやスペインやエジプトの自堕落な若者じゃあない.彼らはアメリカの若者だ――世界でいちばん豊かな国の若者で,大卒の学位をもたず,近いうちに手に入れる見通しもない若者たちのことなんだ.


これまでに分かっていることから見て,この世代は,けっして――そうけっして――卒業して飛び込んだこの悲惨な雇用市場から立ち直ることはない.でもさ,手の打ちようなんてないんでしょ.緊縮策をやらなきゃいけないもんね,次の世代のために.

英文理解の初歩的で大事なところ


もしかしてもしかすると,ぼんやりと原文を読んでいて,いちばん最後の文をクルーグマンの意見そのものと思う人がいるかもしれない:

But hey, we can’t do anything about that; we must have austerity, for the sake of the next generation.
(直訳:「でも,ほら,我々はそれについて何もできない;緊縮策をしないといけない,次の世代のために」)


でも,これは自由間接話法で,誰か他の人の言いそうなことを引用符ぬきで持ち出しているだけ.「――なんてことをあんたら評論家・政治家せんせいは言うんでしょ?」という態度を読み込まないといけない.