クルーグマン「日本に謝罪」発言の断片的引用にはうんざりですよ
ぼやき芸,自嘲的な冗談というものが世の中にはあるのでございます > ある意味でまじめなみなさま
『シュピーゲル』誌インタビューでの発言:
シュピーゲル:では,日本で起きたのと同様に,西洋でも「失われた10年」を目の当たりにしているんでしょうか?
クルーグマン:それどころか,日を追って日本よりひどくなってますね.日本が味わったのよりも深い停滞にあり,かつての日本より苦しみは大きく,産出ギャップも大きい.10年前に日本について批判的なことを書いていたぼくみたいな手合いは,そろって東京に行って天皇に謝らなきゃいけないくらいです.といっても,彼らの政策がよかったからじゃあなくてですね――日本の政策はひどいもんでした――ぼくらの政策の方が輪をかけてひどいからですよ.
SPIEGEL: So, are we looking at a lost decade in the West similar to what happened in Japan?
Krugman: In fact, we're doing worse than the Japanese every day. We are actually having a steeper slump, more suffering, larger output gaps than the Japanese ever suffered. Those of us who were writing critically about Japanese policy 10 years ago ought to all go to Tokyo and apologize to the emperor. Not because their policy was any good -- their policy was terrible -- but our policy is even worse.
(“‘Right Now, We Need Expansion’: Paul Krugman on Euro Rescue Efforts,“ Der Spiegel, 05/23/2012; 全文訳はこちら)
『フィナンシャルタイムズ』でマーティン・ウルフが紹介している一幕:
ぼくらはすでにいろんな論点をあけすけに論じていた.会話は,1990年代の日本の危機にうつった.いまになって振り返ると,日本はかなりうまく危機の余波を切り抜けたように見えますね,と話を振ってみた.
クルーグマンもそうだと言う.「当時のぼくらの考えでは,日本は訓話だった.いまや,日本はお手本だよね.日本はいわゆる「失われた10年」の大半にわたって1人あたり所得をなんとか成長させてきた.このところよく冗談を言ってるんだけどさ,10年ほど前に日本について心配してたぼくらはこぞって東京に詣でて天皇に謝らなきゃいけないよね.日本よりぼくらの方ができがわるいんだから.「我々も日本のようになってしまうんでしょうか?」って訊かれたらこう言ってる:「日本みたいになれればいいんだけどさ」
We have already gone straight into the issues. The conversation turns to the Japanese crisis of the 1990s. In retrospect, I suggest, the Japanese seem to have managed the aftermath of their crisis quite well.
He agrees. “What we thought was that Japan was a cautionary tale. It has turned into Japan as almost a role model. They never had as big a slump as we have had. They managed to have growing per capita income through most of what we call their ‘lost decade’. My running joke is that the group of us who were worried about Japan a dozen years ago ought to go to Tokyo and apologise to the emperor. We’ve done worse than they ever did. When people ask: might we become Japan? I say: I wish we could become Japan.”
(Martin Wolf, "Lunch with the FT: Paul Krugman," FT, May 26, 2012 )
update 2012-05-31:「お手本としての日本」
クルーグマンのブログで趣旨についてもう少し説明されています ("Japan as 'Role Model,'” May 30, 2012):
マーティン・ウルフとのインタビューで,日本の政策について天皇にごめんなさいしないといけないねと冗談を言った――日本の政策がよかったからじゃなくって,流動性の罠に対応するぼくらの政策が輪をかけてひどかったからだ.ぼくが何について言っているのか,ちょっと指標をみてもらうとはかどるかもしれない.
というわけで,ここに掲げるのは1991年以降の日本とアメリカにおける15歳〜64歳男性の雇用-対-人口の比率だ.この1991年は,日本の苦難が始まった年だとしばしば考えられている.なんで男女両方じゃなくて男性だけなの? しかも年齢を限定しているのはどうして? 基本的には,社会変動と人口変動を捨象するためだ――日本は女性の賃金労働参加の面で,アメリカより遅れているし,周知のとおり,急速に高齢化が進んでいる.働き盛りの男性だけが重要だとほのめかしたいわけじゃない.たんにこちらの方が比較的に明快な指標になってるというだけのことだ.さて,その指標はこんな感じ:
さんざん苦難を味わってきたにも関わらず,日本はいまぼくらが被っているような雇用の崩壊を一度も経験していない.日本よりもぼくらの方がはるかにヒドイ実績だというのは,そういう意味だ.
すでに言ったように,あるイミで,日本はもはや〔ああなってはいけないという〕訓話ではない.たしかにみじめな状況ではあるけれど,ぼくらに比べれば,ほとんどお手本に近いものに映る.
update 2012.06.13: 「クルーグマンはかつての主張を取り下げた」?
もちろん,そんなことはない.
日本経済もデフレで行き詰まっている。それもそのはずで、日本の政策当局はこの15年間ずっと、アグレッシブな政策を取ることを拒否してきた。つまりはデフレを終わらせようとしなかった。
それはいまもまったく変わらない。
たとえばいま日本銀行は今年に入ってやっと、2月の金融政策決定会合でインフレ目標を1%としたが、本来であれば3%、4%にしなければならない。1998年から私はそう主張しているが、日銀はまったくやり方を変えようとしない。もう日銀に期待するのはやめた。
(週刊現代によるインタビュー,2012年6月13日)
――さじは投げられてしまったようですが.
update 2014.11.01
『ニューヨークタイムズ』10月30日付け本紙のコラムは,「日本に謝罪」("Apologizing to Japan").また中途半端な我田引水をする人がでてきそうだ.
Now, I’m not saying that our economic analysis was wrong. The paper I published in 1998 about Japan’s “liquidity trap,” or the paper Mr. Bernanke published in 2000 urging Japanese policy makers to show “Rooseveltian resolve” in confronting their problems, have aged fairly well. In fact, in some ways they look more relevant than ever now that much of the West has fallen into a prolonged slump very similar to Japan’s experience.
「と言っても,ぼくらの経済分析が間違ってたって話じゃない.ぼくが1998年に出した日本の「流動性の罠」に関する論文や,日本の政策担当者たちに「ルーズベルトのような決意」をもって自分たちの問題に向き合うことを促したバーナンキ氏の2000年論文は,かなりうまく年を重ねてる.それどころか,いくつかの点ではかつて以上に意義を増している.というのも,西洋の多くが,日本の経験とすごくよく似た長期不況に陥っているからだ.」
より詳しくは,いま利用してるブログの方に書いておきました:
- 「クルーグマンは何を「失敗」と言ってるのか」(flip out circuits, 2014年11月2日)