抜粋:中右実「敬語と主観性」より

ここで留意すべき点がある.(2) で「ます」は過去形式「ました」で生じている.しかし,「ます」が過去形式をとったからといって,これは何も話し手の丁寧さの待遇意識が過去時に起こったという意味ではない.そうではなくむしろ,この過去時はそこに記述されている大地震が現に発生した時点,いわば事象時点を指し示している.この事象時点の指示機能はテンスの役割だから,そのテンスが命題内容の一構成要素であるということもまた明らかである.


 以上の観察をまとめると,「ます」の語幹部分 mas- こそが丁寧さの対人関係的発話機能を分担するのに対し,活用部分は命題成分としてのテンス機能を分担している.これが述語ではないにもかかわらず,動詞一般の活用形式を備え,かつ述語動詞に接辞化して生じるという形態・統語論的特質によって強く制約されているからにほかならない.同じことは他の敬語(補)助動詞「です」「られる」「お…する」「お…なる」などについても言える.


 現代日本語には,この種のねじれ現象が他にも数多く観察されるのだが,ややもすれば,文の表面語連鎖を基にそれと平行した機能構造を仮定してしまうという間違いを犯しがちである.一般に文レヴェルの形式と機能は,決して完全に対称的な (symmetric) 関係にはない,ということに十分に留意しなければならない.


(中右実,「敬語と主観性(中)──敬語の発話行為性」『言語』2008年10月号,pp.21-22;太字強調は引用者によるもの)


このように統語的な階層関係では時制や否定の作用域内にあってもその影響を受けないのは,純粋な表出語句を定義する特徴のように思います.