メモ:「自制可能性」・「自制的」
ジャッケンドフの文章に「自制可能」(self-controllable) という用語が登場していますが,これは久野ススム『日本文法研究』で登場している概念です*1:
今まで,意味的特徴[状態的]のみを論じてきたが,これと同じ位重要な意味的特徴に[+自制的](self-controllable)がある.動作・状態には,自分の意志で制御できるものとできないものとがある.「話ス,読ム,来ル,死ヌ」は[+自制的]であり,「落チル,出会ウ,急死スル」は[−自制的]である.
使役の接辞「サセ」は[+自制的]動詞にしか附加できない.例えば,
(28)
a. 太郎は花子に本を読ませた.
b. *太郎は花子をがけから落ちさせた.
〔原文ではカタカナだったのを平仮名に改めた;下線は原文のもの〕同様,「読マセル」,「食ラレル」のような受身形は[−自制的]であるから,使役形を附加することができない.例えば,「*読マレサセル」,「*食ベラレサセル」は非文法的である.可能形「読メル」,「「食ベラレル」も[−自制的]であるから,[*読メサセル」〔※カッコの部分は原文のタイポ〕,「*食ベラレサセル」は非文法的である.派生動詞形成上,使役の接辞「サセ」が受身,可能の接辞「ラレ,レ」の後に現われ得ないという,衆知の事実は,AがBに行わせ得る動作は,Bの意志によって制御できる動作,すなわち[+自制的]動作でなければならないという意味的理由に由来しているのである.
「マイ」は,[+自制的]動詞に接続する場合はその動作を行わないという「決心」を表わし,[−自制的]動作〔動詞のタイポではない〕に接続する場合は,その動作が起きないであろうという「推量」を表わす.
(29)
a. おれは,何もするまい.[決心][+自制的]
b. おれは,何も解るまい.[推量][−自制的]
〔原文ではカタカナだったのを平仮名に改めた;下線は原文のもの〕命令形は,[+自制的]動詞にのみ可能である.同様,「…シヨウト」のような目的を表わす表現も,[+自制的]動詞にのみ許されるものである.
(30)
a. この本を読め.
b. 学校に行け.
c. 手紙を書こうとした.
d. 勉強をしようと思った.(31)
a. *太郎に出会え.
b. *崖から落ちろ.〔※これは言えると思う〕
c. *日本語が出来ろ.
d. *太郎に出会おうとした.〔※微妙かな:「偶然を装って太郎に出会おうとした」〕
e. *日本語が話せようと,日本に行った.
〔原文ではカタカナだったのを平仮名に改めた;下線は原文のもの〕
(久野ススム,『日本文法研究』,大修館書店,1972年.)
ついでながら:NB.「マイ」に関しては一般化を急ぎすぎていないか.
- 「さすがの彼も,抱き枕までは買うまい.」:[+自制的]な動詞に接続しているが[決心]ではなく[推量]
- 「花子は,そんなことはするまい.」:[+自制的]な動詞に接続しているが[決心]ではなく[推量]