スティーブン・ピンカー「罵りと暴力のはなし」


Seed Magazine から,スティーブン・ピンカーの短文を訳して紹介します:

"Steven Pinker on Swear and Violence," Seed, September 2, 2008

罵りと暴力のはなし

《アイディアは意外なかたちでつながっている.ある分野の発見はいつも思いがけず別の分野に洞察をもたらすものだ.》


ぼくは新著 The Stuff of Thought の一つの章で罵りをとりあげた.次に書く本では,暴力が歴史的に減少していることを論じる.驚いたことに,どうやらこの2つの話題はつながっているらしい.


 すべての言語には感情を逆撫でする概念をあらわすタブー語がある:たとえば超自然的な存在とか,病気とか,体の恥部とか,性的な不品行とか,社会の被差別者とかを指すことばのことだ.ただ,具体的な罵り方は変化する.伝統的なカソリック社会では,罵り言葉は宗教的だ:フランス語系ケベックの標準的な冒涜表現では "Accursed tabernacle!"(呪われし礼拝堂!*1)と言う.性の解放で例の F単語はとんでもない言葉ではなくなったけれど,一方でぼくらは人種差別に敏感になったので,N単語*2を言ってキャリアがおわってしまうこともある.何世紀も前にイギリスで使われていた宗教的な罵り表現にとってかわり,おなじみの性的・スカトロ的な四文字言葉がタブー語になった.歴史家のジェフリー・ヒューズが述べているように,「タンポポが利尿草と呼ばれ,サギが屁糞カラスと呼ばれ,チョウゲンボウが真糞タカと呼ばれた時代は,股袋の華々しい宣伝とともに過ぎ去った」わけだ.


 で,これが暴力の話とどうつながるんだろう?


 ぼくらが生きているこの時代はおぞましいほど暴力的だと広く信じられているけれど,実はその反対に,西洋における殺人率はこの数世紀で10分の1から 100分の1くらいまで下がっている.社会学者のノーバート・エリアスは,日常生活でのいろんなマナーの変化と相関したこの平穏化の過程について記している.中世後期から,人々はお皿の方に顔をもっていったりカーテンにおしっこをひっかけたり公衆の面前で排便したり8歳の子どもに売春のアドバイスをするようなことはやらなくなってきた.排泄や性を語ることのタブーも,この変化の一部をなしている.


 エリアスはこうした傾向を一括りにして「文明化過程」と呼んでいる.この過程で,国家や複雑な社会的ネットワークの形成によって強制されることで,人々は超自我(いまなら前頭連合野と言うところかな)を発揮して衝動をおさえるようになる.この考えが正しいなら,人文学・社会科学・自然科学を隔てる壁は時代遅れだという例がここにもひとつあるってことになる:中世史・語法・脳機能はみんなつながっているんだ.


(※原文は1パラグラフですが,訳者が適宜パラグラフをわけました.)


ピンカーが Stuff of Thought で罵り・冒涜表現を論じた箇所については,shorebirdさんの読書ノートでその概要を知ることができます:

読書中 「The Stuff of Thought 第7章 その2」 - shorebird 進化心理学中心の書評など


The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


また,暴力の減少については下記のピンカーの講演(動画)と論説があります:

*1:"Accursed tabernacle!" の訳には自信がありません.

*2:「ニガー」(くろんぼ)のこと.