ダロン・アセモグル「人的資本政策と所得分配:分析のフレームワークと先行研究の検討」【アブストラクト】

コメント欄で稲葉先生が挙げておられる文献を探してみました*1.これでしょうか:

Daron Acemoglu, "Human Capital Policies and the Distribution of Income: A Framework for Analysis and Literature Review,"
New Zealand Treasury Working Paper 01/03


概要を訳すとこんなふうに書いてあります:

Abstract


 OECD諸国の多くで所得と賃金の格差が急速に大きくなっている.本レポートでは,賃金・所得の格差の決定要因に関する研究をサーベイし,政策分析のフレームワークを提示する.焦点をおくのは人的資本政策だが,所得格差を減少させるこれ以外の政策も考察する.


 本レポートの結論は,OECD諸国で拡大した所得格差はより大きな賃金格差とより高度な技能プレミアムを反映したものであるということ,そして,技能プレミアムを上昇させた原因としてもっとも蓋然性の高いのは技能と教育への需要を増大させた技術変化であるということ,この2点である.ただし,たとえば最低賃金を定める法や労働組合による交渉の重要性といった労働市場制度の変化もまたなんらかの役割を果たしているらしい.たしかに技能の供給には有益な効果があるものの,格差を縮めるもっとも有効な政策は,賃金分配の頂点と底辺の間に横たわる技能のギャップをせばめることであろう.たとえば中等教育の質を改善したり,オン・ザ・ジョブ・トレーニングを振興するといったことがこれにあたる.


本文を覗いてみたらみっちり100ページもあってのけぞりました.

*1:ご自身のブログでもこれをあげておられるので間違っていないとは思うのですが.

D. アセモグル & J. ロビンソン「民主主義の経済的起源について」


2009-01-12追記:PDFを Scribd にアップロードしました:民主主義の経済的起源について


コメント欄で稲葉先生 (id:shinichiroinaba) にすすめていただいたノートを訳してみました.

Daron Aceoglu*1 & James Robinson, "On the economic origins of democracy," Daedalus, Winter 2007, Vol. 136, No. 1, pp.160-162


手に入れた英文はこれであってるハズなのですが,もしちがっていたらご指摘ください.

 ブログ上で読みやすいように改行を増やしています.1文字分のインデントを入れている箇所が本来の段落を示しています.

 イラクは民主的制度を樹立し,維持していけるだろうか? さらに,中東の他の国々もそれに続くだろうか?


いまの共和党政権をあしざまに言う人々に限らず,多くの人は中東における民主主義の見通しに懐疑的だし,おそらくは世界のあまり経済的に豊かでない地域についてもしかりだろう.


こうした懐疑論を支えているのは,ある理論だ.


学者・政策立案者・ジャーナリストらにそろって共有されているこの理論によれば,民主主義は教育程度の高い住民と「民主主義の文化」に根ざしてはじめて成り立つのだとされる.さらにこの理論は言う.民主主義とはなによりも合意・妥協・人民による統治に関するものなのだ,と.


民主主義の文化を発展させていない社会が,合意を形成し対立意見を受け入れることなどありうるだろうか? たとえばイスラム原理主義者のように民主主義に根底から対立する目的をもった集団に力を与えるなど,いずれ必ず民主主義を衰微させることとなる選択を教育程度の低い住民が自制することがあるだろうか?


 この理論はアリストテレスにさかのぼるが,もっとも雄弁に定式化されたのは1950年代,米国の社会学シーモア・マーティン・リプセットによってだ.この理論は広く受け入れられており,いまや「通念」以上のものとなっている.


とはいえ,民主的制度についての見方はこれひとつのみというわけではない.


対案となる理論は次の点に注意を向ける.どんな体制のもとでも,ある社会がもっとも集合的になす意志決定は,部分的にではあるにせよ,資源の分配についての意志決定だ.利益をえる集団や個人があらわれる一方で,他の人々はなにかを失う.民主主義とはこうした集合的意志決定をする制度の具体的な集合であり,政治的権威の相対的に平等な配分によって〔他の体制から〕区別される.


独裁制君主制は集合的意志決定の権力をごく一握りの集団に集中させるのに対し,民主主義は住民の多数派により多くの発言力を与える.そこからこの代替理論はこう示唆する──民主的プロセスで含意された利益の分配が,そのプロセスの下地になっている権力の配分に合致しているかぎり,民主主義はどんな社会でも花開くことができるのではないか,と.


 これら2つの理論のどちらが優れたアプローチなのかという問いは,学術研究だけの問題におさまらない.


2001年のイラクは,成人男性の約半数と成人女性の 4分の3が読み書きのできない国だった.このイラクや民主的制度を試みている他の経済的に発展の遅れている国々がやがてついに成功を収めるかどうかという問題は,2つの理論のどちらが正しいかという問題とつながっている.


通説の主張によれば,クルド人シーア派の間に民主主義の文化が発展し,イラク人の教育レベルが十分に高まらないかぎり,民主主義はいつまでも夢のままにとどまる.他方で,代替理論によれば,そうではなく,こうした集団が民主主義から十分に利益を得るようになり,これを害したりそこから脱退するようなインセンティブをもたなくなる必要がある*2


 イラク市民にとってさいわいなことに,証拠は通説よりも代替理論の方にはるかに合致している.前世紀をとおして,豊かになった国やより教育の高くなった国ほどより民主的になったという傾向はない.さらに,出発点ではとても低い教育レベルしかなく民主主義の文化の痕跡もなかった社会が民主的な社会として成功をおさめた歴史上の例は数多い.


 おそらくもっとも有力な例は,合衆国だろう.


アメリカにおいて,民主主義の起源はメイフラワー号でやってきた聖書読みのピューリタンたちの遺産からうまれたのではない.それはヴァージニア・メリーランド・ペンシルバニアの初期移住者たちの政治的苦闘からうまれたのだ.


彼ら移住者たちはその大多数が読み書きを知らない年季契約奉公の労働者だった.メキシコやペルーを征服したスペイン人たちより教育程度がはるかに劣っていたのは間違いない.大多数が教育のない人々だったものの,ヴァージニアへの移住者たちは自分たちが暮らしているようなタイプの社会にみずからが影響を及ぼせる代表制に価値をおき,これを必要としていた.


この移住者たちが手にした最初の正式な民主的制度は,1619年にヴァージニア会社によりしぶしぶ認められた代議員議会だ.これにより,すべての白人成人男性は参政権を与えられることとなった.この譲歩は,移住者たちにこの生まれたての未熟な社会への利害の関心をもたせようという懸命な試みとしてなされたもので,主として,移住者たちが年季奉公契約と義務から逃れないよう説得しようとするものだった.


 これと同じように,ラテンアメリカにおけるもっと遅れた民主化にしても,低い教育レベルや民主的伝統の不在などとの関係は比較的にうすい.じっさい,たとえば植民地時代のメキシコでは,インディアンの町長が選出されていた.これはスペイン人たちがアステカ族から受け継いだ慣習だ.当初こそアステカ族やインディアンの貴族階層の子孫しか投票できなかったものの,やがてこの制度は活発に人々が参加するものへと進展していき,すべての成人男性が関わることも多かった.


このように民主的な文化があったものの,19世紀のメキシコに民主主義は発展しなかった.20世紀になってようやく発展したものの,腐敗行為と政治的不安定によって損なわれ続けた.これは,富が不平等に分配されたことと,エリートがその主要な政党 PRI を支配することで政治システムを掌握する能力をもったことによってもたらされた部分が大きい.民主主義がメキシコに登場するのがこうも遅れたのは,それが実行不可能だったからではなく,民主主義によってエリートの政治的支配が弱められてしまうと考えられたからだ.


 北米・南米における民主主義の起源からも,「民主主義の文化」と民主主義そのものとのつながりはよくいっても細いものなのがわかる.


しかし,もっとも強力な例証はおそらくボツワナのそれだろう.


ボツワナはサハラ以南のアフリカでもっとも民主主義と経済が成功した国だ.1965年にイギリス人がこの植民地の独立を認めたとき──これは南アフリカとドイツ領の西南アフリカナミビア)の間の緩衝地帯として獲得されたのだが──そこには価値のあるものはほとんど残されなかった:舗装された道路は12キロしかなく,大学を卒業したボツワナ人は22人のみ,そして,中等学校の卒業生はたった100人しかいなかった!


しかし,ボツワナは幸運にも植民地主義の最低の悪影響は逃れていたし,Seretse Khama とそれにつづいた Quett Masire によるリーダーシップのもとで民主的制度を建設・維持し,ダイアモンドからえた歳入を公正かつ賢明に使った.ボツワナの民主主義はたんに持続し繁栄しただけではない.この40年間にわたって,クーデターに脅かされることも大規模な不正選挙に汚されることもなかった.


 以上の例や他の事例からは,教育のない社会が民主的となるのはじっさいに可能なのだとわかる.また,「民主主義の文化」なる漠然とした概念は成功した民主的制度の原因であるのと同程度の可能性でその結果でもありうるのではないかと考えられる.


したがって,イラクの民主主義にとっての主要な脅威は,その国民の低い教育程度や「民主主義の文化」の欠落にあるのではない.脅威は,民族的・宗教的な分断による分極化の度合いが高いこと,そして,多様な集団に十分な発言権を与え社会の資源を公正に再分配するシステムをうみだすのが困難だということにあるのだ.


 たしかにかんたんなレシピではない.しかし,「文化」を変えようというよりは望みがあるのはまちがいない.

とりあえずこんな感じです.おかしな訳がありましたらぜひご指摘ください.

*1:「アセモグル」または「アシモグル」と表記されるようです.

*2:原文:these groups need to get enough out of democracy that they have no incentive to undermine it or secede;やっぱり間違ってました.id:okemosさんのご指摘に感謝!