メモ:ちょっとした翻訳処理の TIPs: 情報提示の順番を保とう
「あまりにもブログを放置しすぎなのでちょっとはエントリを書きましょう」キャンペーン.翻訳上のコツを1つ,書いてみます.
まずは,同じ英文の翻訳を2つ,ご覧いただきましょう:
version A
5年以上にわたってブランドン・ブライアントが働いていた職場は,トレーラーほどの大きさの,窓1つない長方形のコンテナだった.空調は摂氏17度(華氏63度)に維持され,保安上の理由から,ドアは開けられないようになっていた.ブライアントと同僚たちが座る席の前には,14台のモニターと4つのキーボードが並ぶ.ブライアントがニューメキシコでボタンを押すたび,地球の裏側で誰かが死んだ.
version B
ブランドン・ブライアントは、エアコンで摂氏17度に保たれ、治安上の理由でドアを開けることができない長方形の窓のないトレーラーほどの大きさのコンテナの中で5年以上働いていた。ブライアントと同僚達は14台のコンピュータ・モニターと4つのキーボードを前に座っていた。ブライアントがニューメキシコでボタンを押すと、地球の裏側で誰かが死んだ。
A はぼくの訳文,B は「マスコミに載らない海外記事」さんによる訳文です(「無人機操縦者の苦悩」).
一読してみて,いかがでしょうか.ぼくの思い上がりがあるかもしれませんが,おそらく,訳文 A の方がいくらか読みやすいのではないかと思います*1.
ここでやっている翻訳処理は単純で,1点につきます:「原文がフォーカスをおいてるものに,訳文でもフォーカスをおけ」.たとえば,最初のセンテンス:
For more than five years, Brandon Bryant worked in an oblong, windowless container about the size of a trailer, where ...
このセンテンスでは,ブライアントが働いていた場所が「窓1つない長方形のコンテナ」っていうちょっと変わったところなんだよ,と読者に伝えることに力点があります.英文では青文字にした箇所です.このとき,英文が情報を提示している順番はこうなってますね:
(1)「5年間にわたって」→(ふむふむ)→ (2)「ブライアントは働いていた」→(どこで?)→ (3)「窓1つない長方形のコンテナで」→ (4)「トレーラーほどの大きさの」
(1)-(2) は,読者にとって新情報ではあるものの,とりたてて変わったことはありません.「はいはい,5年間働いてたのね」――そして,これを土台にして,「おや?」と思わせる (3)-(4) の情報が提示されます*2.
これを,ふつうの語順で日本語に訳せば,次のような訳文になるでしょう:
ブランドン・ブライアントは、エアコンで摂氏17度に保たれ、治安上の理由でドアを開けることができない長方形の窓のないトレーラーほどの大きさのコンテナの中で5年以上働いていた。
中学・高校英語の英文和訳問題であれば満点です.しかし,どうにもおさまりがよろしくありません.理由は単純で,さっきの情報提示の順番が台なしになっているためです.とはいえ,日本語の自動詞文ならどうしても動詞は最後に回されるわけですから,しかたないと言えばしかたありませんね.
――しかたなくありません.
原文が自動詞文だからといって,訳文でも自動詞文にしてあげなくちゃいけない理由なんてありません.たしかに英語と日本語は語順が大きく異なりますが,情報提示の順番を工夫するための構文はどちらの言語にもいろいろとそろっていますから,それを好きなように活用すればすみます.ですから,たとえばこのようにしてやればいいわけです:
5年以上にわたってブランドン・ブライアントが働いていた職場は,トレーラーほどの大きさの,窓1つない長方形のコンテナだった.
というわけで,あらためてポイントを:
「原文がフォーカスをおいてるものに,訳文でもフォーカスをおけ」
→具体的には,原文が伝えているのと同じ情報を,だいたい同じ順番で提示してやること.
情報クッキーは一口サイズで1枚ずつ
これを踏まえて,さっきのセンテンスの続きをもうちょっと読み進めてみましょう.
For more than five years, Brandon Bryant worked in an oblong, windowless container about the size of a trailer, where the air-conditioning was kept at 17 degrees Celsius (63 degrees Fahrenheit) and, for security reasons, the door couldn't be opened.
関係節 where ... が続いています.さっき提示されたばかりの「職場はコンテナ」という情報を,さらにくわしく解説する内容が含まれています.
(5) 室温は摂氏17度に保たれていた
(6) 保安上の理由から,ドアは開けられなくなっていた
読者は,「へえ,コンテナで働いてたのか」という一口サイズの情報をいったん受け取ってから,この関係節の情報でさらにコンテナについての知識を肉付けしていくようになっています.「職場はコンテナだったんだよ」(パクッ)→「室温は17度に保たれてたんだよ」(パクッ)→「ドアは開けられなくなってたんだよ」(パクッ)――という感じです.
訳文でもこういう情報提示の段取りを追っていかないと,一度に何枚もの情報クッキーを読者にほおばらせてしまうことになります:
ブランドン・ブライアントは、エアコンで摂氏17度に保たれ、治安上の理由でドアを開けることができない長方形の窓のないトレーラーほどの大きさのコンテナの中で5年以上働いていた。
(5)-(6) の情報は,「コンテナ」が登場してはじめてこれを肉付けできるので,こうして先に出してしまうと,「コンテナ」が登場するまで読者は頭の隅にずっとこの2点を保持しておかなくちゃいけなくなります.あんまり親切設計じゃないです.原文の段取りをそれなりに踏まえて訳してあげれば,この点はいくらかよくなります.
5年以上にわたってブランドン・ブライアントが働いていた職場は,トレーラーほどの大きさの,窓1つない長方形のコンテナだった.空調は摂氏17度(華氏63度)に維持され,保安上の理由から,ドアは開けられないようになっていた.
練習問題
このあとに続くセンテンスも,どの情報にフォーカスがあるのか考えれば,やるべき翻訳処理はすぐにわかります:
Bryant and his coworkers sat in front of 14 computer monitors and four keyboards.
では,ちょっと訳文を考えてみてください.訳文ができたら,続きをお読みください――
――OKでしょうか?
もちろん,お察しの通り,情報提示のフォーカスは後半にあります.「ブライアンと同僚たちが座っていた」でいったん読者にその情景をぼんやり思い描いてもらってから,「その目の前には14台のコンピュータと4台のキーボードがあった」とカメラを動かすと,自然とこの作業場の設備が強調されて,「お,なんかちょっとすげえな」と思ってもらえます.逆ではダメです.
ブライアントと同僚達は14台のコンピュータ・モニターと4つのキーボードを前に座っていた。
ブライアントと同僚たちが座る席の前には,14台のモニターと4つのキーボードが並ぶ.
ささやかな処理の工夫ですが,これを積み重ねていくと,長文全体の読みやすさがけっこうちがってきます.
サンプル
最後に,このセクションの訳文をごらんいただきましょう
5年以上にわたってブランドン・ブライアントが働いていた職場は,トレーラーほどの大きさの,窓1つない長方形のコンテナだった.空調は摂氏17度(華氏63度)に維持され,保安上の理由から,ドアは開けられないようになっていた.ブライアントと同僚たちが座る席の前には,14台のモニターと4つのキーボードが並ぶ.ブライアントがニューメキシコでボタンを押すたび,地球の裏側で誰かが死んだ.
コンテナはいつでもコンピュータの動作音が響いている.ここはドローンの頭脳だ.空軍では「コックピット」と呼ぶ.だが,コンテナ内のパイロットたちは,空中を飛んでいるわけではない.ただ,制御盤の前に座っているだけだ.
ブライアントもその1員だった.いまでもはっきりと覚えている1件がある.プレデター・ドローンが8の字を描いてアフガニスタン上空1万キロメートル(6,250マイル)以上を旋回していたときのことだ.泥づくりの平らな屋根の家屋があった.その傍らにはヤギをつないでおく小屋があって,それを照準におさめていた,とブライアントは振り返る.発射命令を受けて,彼は左手でボタンを押し,さっきの屋根にレーザーで標識をつけた.続いて,隣に座るパイロットがジョイスティックでトリガーを押し,ドローンにヘルファイア・ミサイルを射出させた.着弾まで残り16秒あった.
「いつもこの瞬間はスローモーションみたいなんだ」と,いまの彼は語る.ドローンに搭載された赤外線カメラでとらえた画像が衛星で送信され,前のモニターに映る.遅延は2秒から5秒.
あと7秒の時点で,地上には誰も見当たらなかった.この時点では,まだブライアントにはミサイルをそらすこともできた.残り3秒.モニター上のピクセルを1つ1つにまで目をこらさねばならないような感覚をブライアントは覚えた.そこへいきなり,角を曲がって子供が現れたんだ.そう彼は語る.
ゼロ秒――バグランとマザルシャリフの中間にある村で,ブライアントのデジタル世界が現実世界と衝突した.
ブライアントは,スクリーン上に光がまたたくのを見た:爆発だ.倒壊しバラバラになる建物.子供は消えていた.ブライアントは,胃がきしむのを感じた.
「俺たち,子供を殺したのか?」――ブライアントは隣に座る男にたずねた.
「ああ,ありゃ子供だろうな」とそのパイロットが答えた.
「あれは子供だったのか?」――彼らはモニター上のチャット・ウィンドウに書き込んだ.
すると,知らない男が答えた.地球のどこかにある軍事司令センターで彼らの攻撃を監視していた人間だ.「いや,あれは犬だった」――そう男は書いた.
2人は,録画であのシーンを見直した.2本足で歩く犬だって?
この英文では,もう1点,注意を要するポイントがあります.これはまた別のエントリでご紹介します.