Chapter 7: HUMAN SOCIETY:[7-14]〜[7-17]


しばらく遠ざかっていましたが,「すべてのアメリカ人のための科学」(Science For All Americans; SFAA) 勝手に翻訳プロジェクトを少しお手伝いします.

[7-14]

集団行動

人々はじぶんが生まれついた社会的・文化的環境に属すばかりでなく,共通の職業・信念・利害関心から自発的に集団に加わる(組合・政党・クラブなど).こうした集団に属すことで,人々のじぶんについての考え方や彼らについての他人の考え方が影響される.こうした集団は期待や規則を課すことでメンバーの行動をより予測しやすく,集団の機能をより円滑にし,そのアイデンティティを維持する.そのような規則には,たとえば懇親会でのふるまい方のように非公式で実例をとおして伝えられるものもあるし,文章化されて厳格に施行されるものもある.公式な集団は,じぶんたちが奨励する行動を示すために報奨(賞賛・賞・特権)や処罰(脅し・罰金・謝絶)をもちいることがよくある.

[7-15]
自発的にであれ生まれによってであれ,社会集団に所属すると,メンバーは人数の多さによる利点を享受できる:その利点には,資源を蓄える可能性(お金や労働力など),団結しての行動(ストライキ・ボイコット・投票など),アイデンティティと承認(組織・記章・メディアの注目など)があげられる.どの集団であれ,メンバーたちは一定の態度をもっており,これにはじぶんたちが他集団より優れているというイメージもしばしば含まれる.このことは集団内部の結束を固める役に立つが,ときとして他集団との深刻な軋轢を生じさせることもある.他集団に対する態度にはステレオタイプ化が関わっていることが多い──集団のメンバー全員をあたかも同質であるかのようにみなしたり,メンバーのじっさいの行動のうち観察している側の先入見に合致する性質だけを認識したり,というように.このような社会的偏見には,医者や聖職者なような特定のカテゴリーの人々を盲目的に尊敬することや外国出身者や女性といったカテゴリーの人々を盲目的に蔑むことが含まれることがある.

[7-16]
集団の行動は,たんに個々人の行動を総計するだけでは理解できない.たとえば,近代戦争は個人の攻撃的習性の総和としては理解できない.ひとりの人物でも,群衆の中にいるとき──フットボールの試合や礼拝式,争議中のピケットなど──の行動とひとりのときや家族といるときの行動はちがってくるかもしれない.ひとりひとりではそんなことをしないのに,子供が数人いっしょになってビルの中をむちゃくちゃにしてしまうこともありうる.同様に,大人の場合も,ただの個人でいるときに比べてクラブや宗教的集団のメンバーである場合の方が,より他者の求めに対して寛大でものわかりがよくなることがよくある.集団をなしている状況では,その集団の共同行動を受け入れこれに同調すると報奨が与えられ,特定の誰かを非難したり称えるのが難しくなる.

[7-17]
社会的組織は,その公式の存在目的のみにとどまらず,他の多くの目的に寄与していることがある. 気晴らしを目的とする私設のクラブがビジネスの取引を行う重要な場となっているケースは頻繁にある;学習と学術研究の推進を公式の目的として存在している大学は,階級格差を拡大したり縮小したりする助けとなっていることがある;ビジネスや宗教の組織は,収益をあげたり人々に奉仕する以外の政治的・社会的アジェンダをもっていることもしばしばだ.多くの場合,集団の非公式の目的は特定カテゴリーの人々をじぶんたちの活動から排除することとなっている──これもまた差別の一形式である.


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