メモ:サール『社会的世界をつくる:人間文明の構造』


「こんなんありますよ」とご教示いただいたので.

Making the Social World: The Structure of Human Civilization

Making the Social World: The Structure of Human Civilization

Searle, John R. 2009. Making the Social World: The Structure of Human Civilization. Oxford University Press.

  • Preface
  • Acknowledgement
  • ch. 1 本書の目的
    • The Purpose of This Book
  • 付論:本書の一般理論と『社会現実の構築』の特殊理論
    • Appendix: Comparison between the General Theory of This Book and the Special Theory of the Construction of Social Reality
  • ch. 2 志向性
    • Intentionality
  • ch. 3 集合的志向性と機能付与
    • Collective Intentionality and the Assignment of Function
  • ch. 4 言語――生物学的にして社会的なものとしての
    • Language as Biological and Social
  • ch. 5 制度と制度的事実の一般理論:言語と社会現実
    • The General Theory of Institutions and Institutional Facts: Language and Social Reality
  • ch. 6 自由意志,合理性,制度的事実
    • Free Will, Rationality, and Institutional Facts
  • ch. 7 権力:義務論的,背景的,政治的,その他
    • Power: Deontic, Background, Political, and Other
  • ch. 8 人権
    • Human Rights
  • 付論
    • Appendix
  • 結語:社会科学の存在論的な基礎
    • Concluding Remarks: The Ontological Foundations of the Social Sciences

序言 Preface


本書は,人間の社会制度的な現実の存在のあり方とその根本的な特質を説明しようと試みる――存在を,哲学者は存在論のエッセンスとみている.国民国家,お金,企業,スキークラブ,夏期休暇,カクテルパーティー,サッカーの試合――ほんの一例だけど,こうしたものはどういう存在のあり方をしているんだろう? 本書では,社会的現実の創出・構築・維持に言語が果たしている役割を正確に説明しようと試みる.


本書は,前著『社会的現実の構築』(The Constitution of Social Reality) にはじまる論証の延長線上にある [n.1].社会的存在論には,不可解なところがある.これを浮かび上がらせるには,たとえば社会的現実に関するぼくらの理解にあからさまなパラドックスがあるのを指摘すればいいだろう.ぼくらあ,社会的現実について完全に客観的な言明をする――たとえば,「バラク・オバマ合州国大統領である」とか,「ぼくが握ってる紙切れは20ドル札だ」とか,「ぼくはイギリスのロンドンで結婚した」とか.でも,こういう言明はたしかに客観的だけれど,これに対応する事実の方は,人間の主観的な態度によってつくられたものだ.というわけで,このパラドックスをとりあえず言葉にすると,「主観的な意見によってつくられている現実について,ぼくらがこうして事実的・客観的な知識をもっているのは,いったいどうやって可能になってるんだろう?」というカタチになる.ぼくは,この問いをすごく面白いものだと思ってる.その理由の1つは,これがもっと大きな問いの一部だからだ:「いったいどうすれば,ぼくら人間じしんについて,説明できるんだろう? この,精神に満ちていて,合理的で,言語行為を遂行する,自由意志をもった,社会的で政治的っていう特別な性質をもった人間をどう説明できる? この世界は〔ぼくらから〕独立に精神も意味もない物理的な分子たちから構成されているとわかっている世界だというのに?」「ナマの物理的事実の領域に,社会的・心的に存在していることをどうやって説明できるんだろう?」 この問いに答えるときには,いろんな存在論的領域をあれこれ措定するのを避けなきゃいけない――心的な存在領域と物理的な存在領域,さらには,もっとマズいのは,心的領域,物理的領域,社会的領域,とかね.ぼくらは1つの現実について語っている.そして,人間の現実がこの1つの現実のどうビタっとハマるのか説明しなきゃいけない.


社会的存在論の一般理論が用意できたら,次はその一般理論を特殊な問いに当てはめる.たとえば,政治権力の本質だとか,普遍的な人権の地位だとか,社会における合理性の役割といった問いだ.