クリッチリー批判がたいへんに勉強になる(語学的に)


サイモン・クリッチリーが『ニューヨーク・タイムズ』の The Stone という批評ブログ(?)のモデレータになったことについて,Brian Leiter が痛烈にこきおろしています(かねてからクリッチリーが批判されていることは,こちらで教わりました):

ニューヨーク・タイムズはなにを考えているんだ?」

ニューヨーク・タイムズ哲学関連のブログ・フォーラム ("The Stone") をつくって,モデレータに完璧な三文文士を選んだ.サイモン・クリッチリーだって? 大陸哲学(クリッチリーが専門だと称してる分野)の学者のあいだですら,彼はまともにとりあわれてはいないし,まして哲学の他の分野の哲学者のあいだでは全然だ.(Michael Rosen[ハーバード]と私が『オックスフォード大陸哲学ハンドブック』を編集したとき,クリッチリーを執筆陣にいれることなんて,思いつきもしなかった――当然だろう?) 誰も彼もに迎合しようという欲求にアメリカ哲学会が致命的なまでに妥協していないなら,正式に抗議をたちあげるだろう.シンジラレナイ.
(They create a blog forum related to philosophy ("The Stone"), and then choose a complete hack as its moderator. Simon Critchley? Even among scholars of Continental philosophy (his purported area of expertise), he's not taken seriously, let alone among philosophers in any other part of the discipline. (When Michael Rosen [Harvard] and I edited The Oxford Handbook of Continental Philosophy, the idea of inviting Critchley never came up--how could it?) If the APA weren't fatally compromised by its need to pander to everyone, it would launch a formal protest. Unbelievable.)


これに続けて,哲学界でまともにとりあわれていないクリッチリーのような人物をモデレータに選ぶことに対して,同紙に抗議の文章を送るよう呼びかけています.(ひええ)

「さらにクリッチリーへの反応について」

クリッチリーみたいな哲学的な凡才の気取り屋に公的なプラットフォームを与えることで本当に問題なのは,哲学のイメージと評判に与えるダメージだ.ダメージを受けるのは哲学における大陸的伝統も含まれる点も重要.
(The real problem with giving a philosophical lightweight and poseur like Critchley a public platform is the damage it does to the image and reputation of philosophy, including, importantly, the Continental traditions in philosophy.)


このエントリでは,この件に言及したブログがいくつか紹介されています.


そのなかのひとつが,次のエントリです:

「クリッチリー:石[the Stone]のように沈む」

〔The Stone にクリッチリーの書いた文章について〕いちばん好意的にとれる読み方はこうだ:クリッチリーはジジェックみたいにクールにやろうと必死こいて,おちゃらけた書き方をしている.私が理解できるかぎりでは,このコラムのアイディアはこうだ.つまり,NYT の読者は弁護士かインチキ弁護士で,哲学のことなんて屁とも思わない――彼らは哲学なんてたわごとだと思っているにちがいない,と.そこで哲学者がやり返す最善の方法は,彼らと違って哲学者にはヒマがあるってことを,えらくこまごまと説明することだ〔とクリッチリーは考える〕.つまり,このコラムを読むのに5分費やしたとして,自分が哲学者だったら,べつに気を悪くしない.なぜなら,それ以外に,他になにをやったろうか? 成績づけとか? でも,自分がインチキ弁護士なら,まあ,いい面の皮だ:5分もかけて読んだのが,完全に論点の定まらない空想話で,これとそのへんの哲学概論の関係をなぞらえるなら汚れた靴下とプラダのローファーの関係みたいなものなんだから.
(The most charitable reading I can give is this: Critchley is desperately trying to be as cool as Zizek, and he's got his tongue firmly in his cheek. See, the idea of the column, as far as I can tell, is that NYT readers are probably lawyers or pettifoggers who don't give a crap about philosophy--they must think it's all loony. So the best way to get the philosopher's revenge is to explain to them in great detail that, unlike them, the philosopher has time. See, if you just wasted five minutes reading this column and you're a philosopher, you won't feel bad about it, because what else would you have been doing instead? Grading? But if you're a pettifogger, well, the joke's on you: you just spent five minutes on a completely aimless fantasy that stands to Phil 101 in something like the relation that a dirty sock has to a Prada loafer.)

で?


だからどうということはないです.クリッチリーの『大陸哲学』をそれなりに感心しながら読んだ身としては――そして,インタビューも訳しちゃったりなんかしちゃった身としては――ここまで痛罵されるものかと己の見る目のなさにしょんぼりしますが,それはさておき,上記のエントリに続々登場する罵倒表現の豊富さには,たいへん語学的に教わるものがありました.