Lyons (1977) のモダリティ論を抜粋・翻訳・註釈するスレ (4)


前回の続きを1パラグラフだけ.

すでに見ておいたように,主観的認識様相は発話の I-say-so 要素を話し手が限定しているのだと分析できる.客観的様相をもつ発話は(それが真理様相であれ認識様相であれ)限定抜きの I-say-so 要素をもっているのだと記述できる.このとき,限定を受けているのは it-is-so 要素であり,計量化できるとすれば 1 から 0 にわたるような蓋然性の度合いが弱められているのだ.認識様相をもつ命題(話し手によりそのように提示された命題)の事実性が 1 であればその命題は認識的に必然的であり,事実性が 0 なら命題は認識的に不可能となる.日常の談話では,発話で表現される命題の事実性は数値化できる変数によって限定されることはないのが普通である.しかし,英語では様相副詞(法副詞)のいずれかを選択することで少なくとも 3 とおりの事実性の度合いを表現できる.つまり,'certainly', 'probably', 'possibly' のいずれかを用いるのだ.客観的様相の言明で用いられた場合,これらは大雑把に言って 0.5 を上回る事実性の度合いと 0.5 を下回る事実性の度合いとのちがいに対応する.しかし,この大まかな数値による事実性の量化は必ずしもしいてやるべきことではない.科学的談話以外では,主観的・客観的いずれにせよ,認識様相が数学的に厳密な蓋然性の計算に基づいていると信じるべき理由はまったくないからだ.


この後は,認識様相は可能性ベース・必然性ベースのいずれで表現されているかという問題が論じられていきます.