「食べたものを写真に撮る」≒「食べるものを写真に撮る」
どうもサボり気味ですので,ひとつ暇ネタで更新を.
レストランなどで,給仕された料理に向かってカメラを構える人がたまにいますよね.あの動作を言葉に言い表すのに,次の2つの表現が使われることがあります(例文はすべてWEB上の実例):
「食べたものを写真に撮る」
例文:
- 食べ歩きが大好きな私は最近レストラン等で食べたものを写真に撮るのが趣味?のようになってます。
- デジカメなるものを持つようになってから、とりあえず、食べたものを写真に撮っておくようになりました。
- 実は、私たち、誰1人と食べたものを写真に撮ろうとせず、途中になって「あ・・・写真撮るの忘れた!」と誰かが言うまで全く気づきませんでした(笑
- ということで、試しに今日食べたものを写真におさめてみました。
「食べるものを写真に撮る」
例文:
- いつも旅行のときは欠かさず食べるものを写真に撮るのですが
- 中国旅行では、いつも食べるものを写真に撮ってしまう。
- しかし、日々食べるものを写真に撮ってアップするだけで、人気ブログになってしまった例もあるように、
- 人間はなぜ、自分が食べるものを写真に撮って記録しようとするのでしょう。
「タ」でも「ル」でも意味は変わらない?
ぼく個人の語感では,ル形式の「食べる」でもタ形式の「食べた」でも,容認できます(実例の数では後者の方が多いようですし,人によって容認度は異なりそうです).
ここで面白いのは,ル/タのどちらであっても,写真を撮るのは料理を食べる前であって,食べたあとにカラになったお皿を撮るわけではない,という点です.つまり,撮るのが「食べたもの」でも「食べるもの」でも,できあがる写真は同じだと解釈されるわけです.
なぜそうなるのでしょうか.
ひとつの考えとしては,ル/タの時間指示を解釈するための基準時がちがっているのだ,と説明できそうです.
まず,「食べるものの写真」では,写真をとる行動の時点を基準にして,「(これから)食べるもの」を写真に撮るのだと考えられます.
他方,「食べたものの写真」では,写真を撮る時点を基準にすると,写真を撮る時点では食べ終わっていることになってしまいます:
食べる → 写真を撮る
ということは,写真の時点以外が基準時となっているはずです.たとえば,後になってその写真を眺める時点を基準にすると,食事は過去になります:写真に写るのは「(かつて)食べたもの(の,食べる前のすがた)」です.
つまり,
写真を撮る時点―未来→「食べる」→(食事)←「食べた」←過去―できあがった写真をみる時点
というわけです.
原則としてとりうる基準時はル/タのどちらでも少なくとも2通りあるものの,意味のとおる解釈として選ばれるものはそれぞれに異なっているため,「食べるもの」でも「食べたもの」でも結局は意味が同じところに収まっているのではないかと思います.
いえ,あまり真に受けないでくださいね?