学術研究に「翻案」はあるか


はてなブックマーク - もはや「下流インテリ」界隈にはペンペン草も生えず・・・!? - HALTANの日記」での id:kilreyさんのコメントに触発されまして,ハタと考えたのですが,学術研究において「翻案」とはどのようなものでしょうか.

 まず,「翻案」のおおよその語義から押さえておきますと,たとえば goo辞書は次のように記述しています:

小説・戯曲などの、原作を生かし、大筋は変えずに改作すること。


出発点としてはだいたいこれでよいでしょう.「巌窟王」などがその典型でしょうね.

 ただ,この定義では話が「小説・戯曲など」に限定してあるので,学術研究にも話を広げられるようにもう少し一般化するなら,

  1. 元のコンテンツの基本的な着想を保持しつつ;
  2. 細部や題材を別のものに置き換える


――というのが「翻案」だと定義しておきます.

 そうしますと,学術研究におけるこの定義での「翻案」とは,

  1. 元の研究の基本的な着想を使いつつ;
  2. 取り扱う題材を別のものに置き換える


――ということになるでしょう.

 具体例を考案してみるなら,

  1. フィルモアの英語条件文の分析を元ネタにして,「認識的構え」の着想を用いつつ;
  2. 取り扱う研究対象を日本語の条件文に置き換える


などが挙げられそうですね.

 私見では,これはごくまっとうな「研究」です.(じっさい,フィルモアの着想をもとにしてダンシギア&スウィーツァーなどは英語条件文のさらなる分析をやっています.)

 しかし,そうは言うものの,「翻案」には否定的な含みも感じられます.これは,次の2点に起因すると考えられそうです:

  • 「翻案」はしばしば元ネタに明示的に言及せずになされる.
  • 「翻案」はしばしば外国(とりわけ英語圏)の元ネタを日本に移しいれた“輸入モノ”である.


 しかし,学術研究において元ネタを明示しないのはただの盗作です.「盗作」を「翻案」と呼ぶのはものをぼやかす婉曲語法でしかありません.*1

 次に,“輸入モノ”をわるくみるべき理由はありません.学術研究は普遍的なものであって,参照する元ネタが国外産であるか国内産であるかは研究の価値を左右するものではないでしょう.どこのなにが元ネタであろうと我々の知識に寄与するのがよい研究であって,国内産の研究だけを参照しようとするのはみずから視野をせばめるだけのふるまいです.

 そうしますと,学術研究にもたしかに「翻案」はありますが,それはごくあたりまえの研究であるか,「盗作」の婉曲語法であるか,そのいずれかであるということになりそうです.

*1:むかしの人,たとえば林達夫などの発言をみますと,人文学の一部ではこの意味での翻案=盗作が平然となされていたようにも見受けられます.「先生,あの論文の元ネタは○○でしょ?」「お,バレたか,よくわかったね」みたいなノリで.