「犬は飼ってません;ぼくが飼ってるのは茶色い犬です」


――というような発話は,あからさまに矛盾していますね.「犬」のなかには「茶色い犬」も含まれているのですから.

 一般に,「NPではない」ときには,「限定表現+NPではない」が含意されると言っていいでしょう(集合とその部分集合の関係ですね).

 さて,これを踏まえて次の例をみてください:

I believe a true understanding of Darwinism is deeply corrosive to religious faith.
Now, it may sound as though I'm about to preach atheism.
I want to reassure you that's not what I'm going to do.
In an audience as sophisticated as that ... as this one, that would be preaching to the choir.
NO, what I want to urge upon you -- instead what I want to urge upon you is militant atheism.


ドーキンスの講演 "An Atheis's call to arms" から引用しました.

 いちおう訳してみますと――

ダーウィニズムが正しく理解されるなら,宗教的な信仰は深く損なわれることでしょう.
さて,こんな風に言いますと,いまにも無神論を説教しかねないように聞こえるかもしれません.
ご安心を.そういうつもりはありません.
みなさんほど洗練された聴衆にとっては,無神論は釈迦に説法というものでしょう.
そうではなく,私がみなさんに折伏したいのは(笑)戦闘的な無神論です.


といったところです.

 さて,太字部分に注目してみますと,細かい表現はともかく,このように言っていますね:


冒頭の「犬は飼ってません;ぼくが飼ってるのは茶色い犬です」と同じ形になっているのがわかります.

 とはいえ,ドーキンスは矛盾したことを言っているわけではありません.ぼくみたいな nit-picker でなければ,ごく自然に解釈される発話です.

 すると,ここでは「NPではない」がその下位集合である「限定表現+NPではない」を含意するという自明な関係に対する例外が現れていることになります.

 どうなっているのでしょうか?

 ひとつの答えは,ここでは自己分類 (autotaxonomy) の解釈がなされている,というものです.つまり,表面的には「無神論」という上位カテゴリを表すNPが,その下位カテゴリを表すように語義が調節されている,というわけです.この場合なら,「戦闘的無神論」に対比される形で「ただの無神論」・「ふつうの無神論」と言い表せるような「無神論」の下位カテゴリに解釈されていると考えられます.

 こうした自己分類の関係はそれほど珍しいものでもありません.次の例では,"_1" を付けた名詞は上位カテゴリに,"_2" を付けた名詞は下位カテゴリに解釈されます:


■ "trousers"

A: Haven’t you got any trousers_1 to wear? (穿けるズボンはないの?)
B: No, I’ve got my new jeans. (いや,新しいジーンズがあるよ.)
(Cruse, Meaning in Language, 2nd edition, p.178)

A: Are you going to wear your jean? (ジーンズを穿くつもり?)
B: No, I think I’ll wear my trousers_2. (いや,ズボンを穿こうと思ってるんだけど.)
(Ibid.)


■ "vegetable"

Potatoes are one of the most nutritious of all vegetables_1. (ジャガイモは野菜の中でもいちばん栄養のいいもののひとつだ.)
(Ibid.)

Do you want any vegetables_2, or just potatoes? (なにか野菜はいる? それともジャガイモだけでいい?)
(Ibid.)


■ "house"

A: I hear they’ve bought a house_1? (彼らは家を買ったらしいね?)
B: Yes, a lovely cottage near Netherfield. (うん.ネザーフィールドの近くにかわいいコテージをね.)
(Ibid.)

A: Do they live in a cottage? (彼らはコテージに住んでるの?)
B: No, in a house_2. (いや,住宅に住んでるよ.)
(Ibid.)


■ "ball"

トム(脇にフットボールを抱えている):Hey, let's play tennis. (テニスしようよ)
ビリー:You got a ball? (ボールはあんの?)
トム:(i) No.(ないよ)
   (ii) Yeah, but not a tennis ball. (あるけど,テニスボールじゃないんだ)
(Cruse, Meaning in Language, 2nd edition, p. 266)


このように,同じ表現が上位カテゴリと下位カテゴリの両方を表しているとき,その2つの語義は自己分類の関係にあると言います.

 このような自己分類の語義は慣習的に定着しているものもあれば,発話のその場で(オンラインで)調節されるものもあります.最後に挙げた ball の例は語義をオンラインで構築している例にあたります.

 しかし,そのようなオンラインの語義構築が無制限に認可されるのなら,冒頭の「犬は飼ってません;ぼくが飼ってるのは茶色い犬です」だって,「犬」を自己分類の下位語義に解釈して矛盾をなくせるはずです.しかし,どうやらそこまで融通無碍に適用されるわけでもないようです.


Meaning in Language: An Introduction to Semantics and Pragmatics (Oxford Textbooks in Linguistics)

Meaning in Language: An Introduction to Semantics and Pragmatics (Oxford Textbooks in Linguistics)