"In Len's painting, the girl with blue eyes has green eyes."


 昨日のエントリと(少なくともぼくの頭のなかでだけは)関連してることを少し書いておきます.

1.

 表題の英文は有名な例で,Jackendoff (1975)*1, Fauconnier (1994)*2 などで論じられてきました:

(1) In Len's painting, the girl with blue eyes has green eyes.


とりたてて理解に苦しむことはないですよね.直訳すると,「レンの絵の中では,青い目の女の子は緑の目をしている」くらいになります.

 ですが,これはなかなかトリッキーな例になっています.

 どういうことでしょうか?

 まず,"In Len's painting" を外してみましょう:

(2) The girl with blue eyes has green eyes.


 さて,女の子の目は何色でしょうか? 

 the girl にくっついている with blue eyes にしたがえば青い目をしてることになりますし,述語の has green eyes にしたがえば緑の目をしてることになってしまいます.つまり,女の子についての相容れない2つの記述が競合しちゃっています.

 ここからわかるように,例文 (2) は the girl について相容れない記述がなされているわけで,このままではまともな意味を構築できません.

 では,もともとの例文 (1) ではどのようにしてまともな意味をつくりあげているのでしょうか?

 このように考えればすむように思われるかもしれません:「だって,“絵の中では”ってあるからOKになってるんでしょ?」

 ですが,そうはいきません.

 だって,青い目をしていて,かつ緑の目をしてる女の子の絵なんて描けませんよね? 例文 (1) で確かめたことを思い出してください:"with blue eyes" と "has green eyes" は現実のなかであろうと,絵の中であろうと,お互いにぶつかりあってしまいます.

 ですから,たんに「それは絵の中のことだから」というだけでは問題は解決しないわけです.

 では,私たちが当たり前に到達している解釈を導くには,どんなことが他に必要でしょうか?

 それは,「女の子」の表象を2つ用意してやることです.

 絵のモデルになった現実の女の子と,絵の中に描かれている女の子,この2つをわけて私たちは例文 (1) を解釈しているはずです.それに加え,両者が“同じ人物である”“同一である”という関係も理解されていなければなりません.

 すると,

  • モデルの女の子:with blue eyes
  • 絵の中:has green eyes


というように,競合する記述が別々の表象と結びつけられることになります.

 文の表面的な形式だけをみると,「女の子」を指示する表現は the girl ひとつきりで,別に「モデルの子」と「絵の中の子」という2つの名詞句が登場しているわけではありませんよね.でも,意味を構築していく過程では,the girl から2つの表象を立ち上げてそれぞれに異なる記述を割り振っているのだと考えられます.

 とりたてて意識せずあたりまえに理解している単純なセンテンスには,少なくともこれだけの操作が関わっていることがうかがいしれます.

2.

 さて,昨日のエントリでは,次のような例をとりあげました:

those are just very superficial thoughts that I'l like to discuss in an eventual book...


ここでも,名詞句 very superficial thoughts によって言及されているものは2つにわけて処理されているのではないか──コピュラの BE の後ろでは文字通りに,そして関係節の discuss の目的語としては superficial ではない thoughts として──というのが,ぼくがぼんやり考えていることです.

 たかだか1つの例では「ほんとうにそうなのかなぁ」と眉につばをつけなきゃいけませんが,類例を集めていけば,もしかするとこうした関係節とその先行詞の特殊な解釈の仕方があると言えるようになるかもしれません.

3.

 ところで,「承認しなくていいので」と前置きして,次のようなコメントをいただきました:

so-thatというよりも、same-that/asの変形みたいな構文なのでしょうか?
same〜that → different〜that! → superficial〜that?


とりあえずこれにお答えするなら,おおよそ以上のような話になります.ぼくに限って言えば,この例文で言語表現を「変形」させることは考えていません.(意味をわかりやすくするためにパラフレーズしてみることはありますが,それは分析するための補助線だとみなしています)

*1:Ray Jackendoff, "On belief contexts," Linguistic Inquiry 6: 1.

*2:Gilles Fauconnier, Mental Spaces, 2nd edition