「〜だなんて」の「だ」
人から,「きみの癖みたいですね」と指摘されて気がついたのですが,じぶんが和訳した文章を改めて読んでみると
心が体に影響するだなんて,いったいどうすれば可能なんだ?
もし意識的な現象みたいなものが実在するとして,そんなものが物質的な粒子の世界に適合するだなんて,どうやったら考えられるだろうか?
さらに,ぼくらの意識的な自己と身体との関係を考えてみると,自己には身体の他になんにもありはしないだなんておぞましすぎてとても考えられないように思える.
というように,「〜なんて」の前に「だ」を入れていることがよくあるみたいです.
もちろん,
こんなかわいい子が女の子だなんて
のような場合なら「だ」が入るのも当然なのですが,動詞のル形やタ形のあとにもつい「だ」を入れてることがあるようです.ぼくの方言の影響かもしれません.
自分では「だ」が入っている方がなんとなくおさまりがいいように感じて挿入していたのですが,他の方の語感ではどうなんでしょうか?