honorifics and quantification:容認度どうでしょう


 twitterで koljaさんに教えてもらったネタを忘れないうちにメモ.

 以下に挙げる例文の容認度が気になってます.「思う」の主語は「教授」だという解釈のもとで容認されるかどうか:

(1) どの教授も そのクラスを教えたと 思っている.


(2) どの教授も そのクラスをお教えになったと 思っている.


(3) どの教授も そのクラスを教えたと 思っておられる.


(4) どの教授も そのクラスをお教えになったと 思っておられる.


(5) ほとんどの教授が そのクラスを教えたと 思っている.


(6) ほとんどの教授が そのクラスを教えたと 思っておられる.


(7) ほとんどの教授が そのクラスをお教えになったと 思っている.


(8) ほとんどの教授が そのクラスをお教えになったと 思っておられる.


→ Christopher Potts and Shigeto Kawahara, "Japanese honorifics as emotive definite descriptions" (PDF)


追記:例文はこちらの方が適していそうな気がします:

(9) そのクラスを教えたと どの教授も 思っている.


(10) そのクラスをお教えになったと どの教授も 思っている.


(11) そのクラスを教えたと どの教授も 思っておられる.


(12) そのクラスをお教えになったと どの教授も 思っておられる.


(13) そのクラスを教えたと ほとんどの教授が 思っている.


(14) そのクラスを教えたと ほとんどの教授が 思っておられる.


(15) そのクラスをお教えになったと ほとんどの教授が 思っている.


(16) そのクラスをお教えになったと ほとんどの教授が 思っておられる.