(勉強中)「食料を奪っている」という問題について


 先日のエントリでは,“主食は自給すべき”・“食用米が不足したときには飼料米を食べればよい”との hituzinosanpoさんのご主張を批判しました.

 今回のエントリでは,私たちのように豊かな人々が比較的に貧しい人々から食料を「奪う」ことになるケースがあるとの mojimojiさんのご指摘を考えます.

“食料を奪っている”ことがあるかもしれない


 hituzinosanpoさんの「食糧危機はなぜ起きるか」に言及して,mojimojiさんは,こう書いておられます:

ポイントは「たくさんのお金をもっている私たちが国際市場で食料を買い付けることで、よりお金をもっていない誰かから食料を奪うことになる場合がある」ということ
(「本当のフェアトレード」)


ここで具体的に考えられているのは,1993年に日本が緊急輸入したことでタイ米の価格が上昇し,とくに貧しい人たちが購入できなくなったという事態です.

 この点が重要だというご指摘はそのとおりだと思います.

 では,私たちはこうした事態にどう対応するのが望ましいのでしょうか?

「奪う」こと


 発端のエントリを書かれた hituzinosanpoさんご自身は,主食の自給がのぞましい(したがって生産国は輸出しない方がよい)と提案しておられますが,これは妥当な対応ではないでしょう.

 食料を輸出することで生産者は利益を得ることができますし,輸入国の消費者はより安く食料を買うことができるようになります.標準的な経済学によれば,一般に,貿易を自由化すればそれに関わるどの国も全体として豊かになるとされます*1.食料の場合も同様で,他の条件が同じなら,貿易をした方がしない場合よりも当事国は豊かになると考えられます.

 裏返して言えば,すでになされている貿易をやめれば経済の状態は全体として悪化する,ということです.食料について言えば,たとえばある国で国外の安価な麦が輸入されなくなれば,その国内で手に入れられる麦の価格は高くなります.場合によれば,そのせいで麦を買えない人だってでてくるかもしれません:ちょうどタイ米のケースの逆ですね.他の条件が同じなら,主食を自給して輸入をやめると,その分だけ全体として経済の状態が悪化するだけでなく,そもそも hituzinosanpoさんが問題にした事態がなくなるわけでもないのです.

 もうひとつ,とても大事なことがあります.

 豊かな人々が貧しい人々の食料を「奪う」ケースを hituzinosanpoさんが憂慮し自給を望ましいと考えるとき,意図せずして問題を倫理的・道義的なフレームでとらえるあまり,食料の配分というもともとの問題が適切に立てられなくなっているのではないか,と思うのです.

 先進国にくらす私たちが食料をより多く買い付ければ,価格が上昇し,貧しい人々には手が届かなくなってしまうケースがあるのはたしかです.ここから“私たちが彼らの食料を奪ったのだ”と見るのは一面の真実をとらえてはいます.また,道義的に後ろめたいことでもあるでしょう.

 ですが,“ならば「奪う」ことがなくなればよい;それには自給すればいいのだ”と考えるのは間違いです.たしかに自給すれば「奪う」ケースはなくなるでしょう.しかし,(主食に限るにせよ)食料を自給すれば,生産者が輸出で収入を得る道を閉ざしてしまう上に,安い輸入作物で助かっていた人々の生活も脅かされます:ようするに,事態はいま以上に悪化してしまいます.したがって,“「奪う」のはよくないから自給しよう”という指針はたんに道義的な後ろめたさを解消しようとしているだけであり,飢餓のリスクの軽減や生活の向上というもともとの問題の解決にはならないのです.

 よって,問題は,“自由貿易を原則として支持しつつ飢餓のリスクに対応するにはどうすればよいか”というかたちになります.

mojimojiさんの提案


 原則として自由貿易を支持すべきだという点は,おそらくぼくも mojimojiさんも一致してしており,mojimojiさんも「上記問題を回避するために「貿易を制限する」というやり方は、問題をまったく解決しないだろう」・「むしろ、悪化させると思う」と述べておられます.

 その上で,mojimojiさんはこう提案しておられます:

しかし、世界中で所得格差が今よりずっと小さくなるならば、農作業に関わる面倒さに対する人々の評価も平準化することになり、農産物のコストのうち賃金部分の差は小さくなるはずである。すると、単純に、農業に適した土地の広さであるとか、気候の適・不適であるとか、輸送する場合のそのコストであるとか、そういうものを反映して、農産物の生産費用が決定されることになる。そういう世界における市場均衡は、現在の世界よりも地産地消の割合が大きくなるだろう。


全世界での所得格差が小さくなれば,(中略)貿易の規模は小さくなるだろう,ということのようです*2

 ただ,この提案がどうして当該の問題の解決になるのか,ぼくはいまひとつ理解できずにいます.ひとつの解釈としては,「現在の世界よりも地産地消の割合が大きくなる」ならば他国への輸出によって生産国の貧困層が食料を手に入れられなくなるケースは減少するだろう,ということかもしれません.

 いずれにせよ,この提案が「世界中で所得格差が今よりずっと小さくなるならば〜」という条件文になっている点に注意してください:所得格差が全世界で小さくなることが前提条件になっています.

 これには2つの難点があります.

 第一に,その所得格差の縮小そのものが遠大な課題です.仮にこのご提案が正しいとしても,実現へのタイムスパンが長すぎてその間におきる飢餓のリスクに対応するものにはなりません.

 第二に,問題と答えが対応していないかもしれません.

 所得の格差が縮まるには,次のいずれか(または両方)が必要です:

  • 豊かな人々がいまより貧しくなる
  • 貧しい人々がいまより豊かになる


明らかに,目標とすべきは前者でなく後者です*3.すると,mojimojiさんが言っておられる提案は,“貧しい人々がいまより豊かになれば(中略)貧困者は食料にアクセスしやすくなる”ということを含意します.間違っているとは思いませんが,これはもともとの問題からズレていないでしょうか:私たちが問題にしているのは,食料の価格が上昇した場合に貧困層を中心として食料を買えなくなる人がでてくる,ということでしたね.貧しい人がいるときにどうやって飢餓のリスクをなくすかというのが当初の問題だったのですから,“もっと豊かになればよい”というのは前提の条件を変えることになります.

緊急の問題には緊急の対応を


 どうも,異なる問題が入り混じっているようです.

 2つの問題を区別しましょう.ひとつは公正な経済システムについての構想,もうひとつは飢餓のリスクへの対応です.

 まず,経済システムの改善というタイムスパンの長い問題.現実の市場経済に不公正があることはたしかであり,その改善が必要なのは自明です.

 たとえば,さきほど“自由貿易は原則として経済状態をよくする”と述べましたが,じっさいには多くの国がさまざまな貿易障壁をつくっています.他国には自由化を説きつつ自国では比較優位を持つ産業を保護するといったダブルスタンダードがまかりとおっていることすらしばしばです:

ロシアが受けている市場経済集中講義で講師をつとめているのは,われわれアメリカ人だった.なんと奇妙な講義だったことだろう.ロシアは自由市場,教科書的な経済学をこれでもかとばかりに吹きこまれたが,その一方で,講師の行動から 実際に 見てとったものは,教えられている理想とはかけ離れたものだった.貿易の自由化は市場経済を成功に導くうえで不可欠だと教えられたが,アルミやウラン(およびその他の商品)を米国に輸出しようとすると門戸は閉ざされた.アメリカは明らかに,貿易を自由化しないことによって成功していた.おりにふれて言われるように,そこでは「貿易は善だが輸入は悪」だったのだ.
(ジョセフ・スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』,徳間書店,2002年,pp.255-256; 強調原文)


また,他にも次のような問題が山積みです:

  • 自由化にともない損害を受ける人々がでること
  • 途上国の農業生産者が先進国の保護主義に直面しているケース
  • 先進国と途上国の交渉力に格差があること:途上国は不利な条件を受け入れられざるを得なくなる

── etc., etc.


さきほど言及した mojimojiさんの提案も,こうした公正なシステムの構想に関連しているものと思います.

 公正なシステムのもとでは,貧困による飢餓のリスクは軽減するかもしれません.しかし,ひとつひとつの飢餓は短い期間におきる緊急の問題であり,その解決に長期にわたるシステム全体の構想ばかりで対応するのは不適切でしょう.とはいえ,もちろん,hituzinosanpoさんや mojimojiさんが緊急の対応策が不必要だと言っているとは思いません.あくまで,ここで強調したいのは問題を分けることです.

 個別の危機に必要なのはすばやい具体的な対応であり,飢餓のリスクに直面するであろう貧しい人々が食料を手に入れられるよう救援策を打たねばなりません.たとえば公的プロジェクトによる雇用などの実施をA・センは提案しています:

権限保護のために最低限の所得を創出することは,様々な方法で可能である.中でも現金賃金による公的雇用は,効果的な方法となる可能性がある.潜在的な飢饉の犠牲者に対して公的雇用を提供することは,失われた購買力を再創出し,飢餓を防ぐことにつながる.そのための最善の方法は,多くの場合,こうして雇用された人々に対して現金賃金を支払うことである.飢饉救済というと,あまりに強く食糧の配給や救済キャンプでの光景と結びつけて考えられてしまうものなので,一見この考えは飢饉阻止の方法として常軌を逸したものに見えるかもしれない.しかし,もし飢饉がある一部の人々の権限失敗によって引き起こされたと見るならば,これは明らかに実行すべき方針である.ただし,時宜を得た所得の再創出によって飢饉を阻止する戦略は,飢饉が阻止できなかった場合に,残されたあらゆる緊急手段を用いて,飢えつつある犠牲者を支援する飢饉救済戦略とは,区別して考える必要がある.
(「飢餓撲滅のための公共行動」,『貧困と飢饉』,岩波書店,2000年,p. 264)


 このように書くと,“そうした対応はしょせん弥縫策,対症療法にすぎない”と思われる方もいるかもしれません.その考えには一面の真理があります.ですが,根本の解決ばかりに偏るのももう一つの間違いなのです.

*1:グレゴリー・マンキュー『入門経済学』,東洋経済新報社,2008年,第3章;ジョセフ・スティグリッツミクロ経済学』第3版,東洋経済新報社,2006年,第13章

*2:中略した部分のうち,賃金コストの部分は理解できますが,地産地消の割合が増えるという結論が導かれるのかどうかよくわかりません.この点については判断を保留します.しかし,ここでは前提と帰結それぞれの妥当性が焦点ですから,中略した推論部分の妥当性は脇においても議論に影響しません.

*3:前者は後者とのトレードオフにおいてはじめて許容できるでしょう