「人的資本政策と所得分配」翻訳:4.1 シグナルと選別としての教育


update: 2008-12-29


「人的資本政策と所得分配」セクション4.1 の翻訳です.ひととおり日本語にしてみただけで,意味不明の箇所を多々残しています.

長くなるので【つづきを読む】をはさみます:

4.1 シグナルと選別としての教育


上記のフレームワークは Becker (1964) の人的資本論の伝統に深く根ざしている.そのため,人的資本と生産性における教育の役割が強調されている.これにはよく知られた対案があり,そちらでは教育がシグナルとして作用する点を強調する(Spence, 1974を参照).たとえば,経営学修士 (MBA) の学位は実際に人的資本に寄与するものであると同時に,能力と意欲のシグナルともなっている.


この基本的な考え方を例示するには,こう仮定してみるといい.教育には生産性を向上させる役割が全くなくて,ただ労働者たちはその基底の能力が異なっており,能力により生産性が向上するとしよう.さらに,教育には2つの水準,高いもの(e.g. 大学)と低いもの(e.g. 高校)があると仮定する.あらゆるシグナルのモデルにとって決定的な仮定は,教育をえるコストは能力が高い労働者ほど低くなるというものだ.この仮定の動機となっているのは,能力が高い労働者はたんに職業において生産性が高いだけでなく,学習においても能率に優れており,しかも教育に必要な要件を満たしているという議論だ.


この仮定上の世界では,比較的に能力の高い労働者は,みずからの能力が高いことをシグナルするために教育を受ける.もしこうしたシグナルが信頼できるものであるなら,雇用主はこうした労働者はその能力の高さゆえにより生産的だろうと予測して,教育ある労働者により高い賃金を支払う.当然,能力の低い労働者はこのふるまいを模倣しようとするが,教育をえるコストがより高いものとなってしまうため,そこから利益を得ることができない.


さて,たとえば教育コストが低下したために教育が増大したのを想像してほしい.すると,それまで教育を受けていなかった労働者のなかでいま教育を受けるのを選択するのは自ずとより高い能力をもつ労働者となる.その結果,教育のない者の平均的な能力は低下する.この推論からは,ある含意がでてくる.高等教育を受けた人たちが全体に占める割合が世代(コゥホート)を経てしだいに増えていくのにともなって,教育のない人たちは非常に能力が低いのだと雇用主たちに受け取られるようになるのだ.すると,今度はこれによってそういった〔教育のない〕労働者に支払ってもいいと彼らが思う賃金は下がっていき,不平等の拡大を進めることになる.


これに関連した筋書きでは,シグナルではなく「選別」効果を強調する.シグナルの筋書きでは,労働者と会社の間に不完全情報がある:労働者はじぶんの能力を知っていて,一方の会社は労働者の教育に関する意志決定からその能力を推測しようとする.選別の筋書きでは,ここまでに能力と呼んできたようなスキルは雇用主によって観察されるけれども,通常の調査では我々によって観察されない.よって,不完全情報は経済におけるエージェント間にあるのではなく,エージェントと我々アナリストの間にあることになる.すると,教育を受けた人たちが教育を受けていない人たちよりも高い能力をもっているかぎり,同様の効果が生じる.教育を受けていない人たちの平均能力は教育を受けた人たちよりも低くなり,さらに重要なこととして,平均的な教育水準が高くなるのにともなって高等教育を受けていない労働者の平均能力は下がっていく.この世界では雇用主は能力を観察してそれに応じて支払うので,彼らの賃金も低下していく.以下で,このメカニズムが正確にどう機能するのか詳細に説明しよう.

シグナル効果と選別効果による不平等拡大への寄与は限定されていると思われる理由はいくつもある.


第一に,定性的な証拠の示唆によると,シグナル効果と選別効果はそれ自体では大半の国々で近年起きた不平等の変化を説明できないと思われる:こうした効果そのものは,教育ある労働者と教育のない労働者のあいだの不平等は逆方向に進むだろうと示唆されるのだ(たとえば,教育が増大すると,より限界的な労働者はより教育のある集団に加わり,より限界的でない労働者はより教育の乏しい集団に残される).しかし,アメリカ合衆国において,大卒と高卒のあいだで全体と残余の不平等 (overall and residual inequality)*1 は拡大した.このことは,スキルに対する実際の見返りの変化が不平等の拡大になんらかの役割を果たしていることを示唆する.


第二に,理論的に,シグナル効果と選別効果が実際に教育水準の高い労働者と低い労働者の賃金格差の拡大に寄与するのかどうかがはっきりしていない.この問題を論じるために──そして,シグナルと選別のメカニズムが正確に言っていかにして不平等を拡大させるとされるのかを明確にするためにも──ここで2つの教育水準すなわち高水準 h=1 と低水準 h=0 を含む単純なモデルの概略を描いておこう.賃金は下記により与えられるとしよう:


ここで h{i} は高等教育のダミー変数,a{i} は観察されない能力を表す.(log) 教育プレミアム──すなわち教育水準の高い労働者と低い労働者の平均賃金の差──を,こう定義しよう:


ここで A{1t} ≡ E (a{i} | h{i} = 1) と A{0t} は同じように定義される.教育プレミアムの増加を引き起こすのは γ{t} の増加(スキルへの実際の見返りの増加)であることもあれば,A{1t} – A{0t} の増加であることもある.A{1t} – A{0t} の増加の理由は基本的に2つある:(1) 世代(コゥホート)の質の変化,あるいは (2) 教育の選別/シグナリングのパターンの変化の2つだ.


まずは世代(コゥホート)の質の変化から考えよう.高校のシステムが悪化した場合, A{0t} は低下する一方でそれによって A{1t} が低下することはないと予測できる.その結果として, A{1t} – A{0t} は増加するかもしれない.


他方で,そしてこちらの方が本レポートの焦点にとって重要なのだが,高等教育を受けた人々が人口に占める割合が増えるのにともなって,教育への選別(i.e. 教育を受ける者の能力)が変化するのは自然なことだ.それどころか,教育を受けないままとなった人々が観察されざる非常に低い能力をもつこととなる可能性もある.これは翻訳すると A{0t} の水準が低いということであり,したがって A{1t} – A{0t} は増大することとなる.これこそ,シグナリングと選択両方の筋書きの本質だ──ある世代(コゥホート)(または労働市場)の平均的教育が向上するのにともない教育を受ける労働者は,教育を受けていない労働者に対して相対的に高い能力をもつ人たちとなる一方で,すでに教育を受けていた人たちよりは能力で劣る人たちでもある.その結果,教育の高い集団と低い集団のいずれも平均的な能力は低下する.教育の低い集団の方が平均的能力の低下幅が大きければ,シグナリングと選別それぞれのメカニズムは不平等を拡大するようにはたらく.


とはいえ,教育の高い労働者と低い労働者の賃金格差に選別/シグナリングがおよぼす理論上の効果はあいまいだ.これらの相互作用は教育を受けていない人々の平均能力 A{0t} を押し下げるばかりでなく,A{1t} も押し下げる.このため,これを差し引きした効果はあいまいなのだ.この点をもっとはっきり理解するため,完全な振り分けがなされるという仮定をおこう──すなわち,能力 a をもつ個人が教育を受けるとき,a’ > a の能力をもつすべての個人もそうする,という仮定だ.この場合,閾となる水準の能力 ā が存在し,a > ā の能力をもつ者だけが教育を受ける.次に,Figure 4 に示したような b{0} と b{0} + b{1} 間での a{i} の均等な分布を考えよう〔b{0} は原点から長方形の左端までの隔たり,b{1} は長方形の横幅;だから,b{0} + {b1} は原点から長方形の右端までの隔たりにあたる〕.このとき,Figure 4 において,A{0} と A{1} は ā に位置する太線で作られる長方形の中央の点により与えられる.もっと詰めて言うなら,


となる.よって,ā が ā’ に低下する〔左にシフトする〕ときには,A{0} も A{1} もともに下降する(実線から波線にシフトする).さらに,A{1} – A{0} = b{1}/2 だから,これは ā が低下しても変化しない〔平均的な能力の差は変わらない〕.直観的に言うと,a{i} が均等に分布しているので,ā が向上したときには A{0} と A{1} の両方がまったく同じ分だけ下がることになる.よって,シグナリング効果/選別効果は教育プレミアムになんら影響しない.能力が〔均等にではなく〕他の分布の仕方になっていれば,この極端な結果は成り立たないのは明らかだ.しかし,それでもなお,A{0} と A{1} がともに下落するというのは正しいままであり,また,この効果が教育プレミアムを増大させるか縮小させるかははっきりしない.したがって,全体として選別の変化が教育プレミアムに及ぼす効果は経験的な問題となる.


【Figure 4: 能力に基づく異なる教育水準への選別】

(※訳者の註釈:ヨコ軸は能力の高さ,タテ軸はそれぞれの能力の人数を示しています.仮定により,どんな能力のひとも均等に同じ数だけいることになっているため,高さは水平になっています.太線で示された ā の能力が閾となって,それより左にいる能力の低い人たちは教育を受けず,右にいる能力の高い人たちは教育を受けます.この閾の値が下がって,もっと多くの人が教育を受けるようになっても,2つの集団の平均的な能力の差 b{1}/2 は変わりません.b{1} は長方形の横幅に同じです.)

経験的には,シグナリング効果と選別効果はこれまで限られていたことが証拠からうかがわれる.この結論を動機づける証拠には2つのタイプがある.
第一に,選別効果(そしてシグナリング効果)の重要性は,世代(コゥホート)による不平等の変化をみることで明らかになる(Blackburn, Bloom and Freeman, 1992; John, Murphy and Pierce, 1993 を参照).これを理解するには方程式 (8) をこう書き換えるといい:


ここで c はひとつの世代を表す── i.e. 同じ年に生まれた個人の集団だ.方程式 (9) を書く際に,私は重要な仮定をひとつおいている:スキルへの見返り(リターン)はすべての世代と年齢で同じだと仮定されているのだ;γt ──だが,明らかにこれらは時点によって異なっている.すると,それぞれの世代に特有の教育プレミアムをこう定義できる:


この式で,A{1ct} ≡ E (a{ic} | h{i} =1) と A{0ct} は同様に定義される.どの世代でも調査期間を超えてさらに進学することはないと仮定すると下記がえられる:


ここからは次の含意がでてくる:


i.e. ある世代における教育へのリターンの変化によって,スキルへのリターンの変化が明らかとなる.この議論を敷衍して,観察されないスキルを h が表す場合に当てはめることもできる.違うのは,今度は賃金分布におけるある固定されたパーセンタイルの差(e.g., 90-10 の差)をみなくてはならなくなるという点だけだ.より詳細な議論は John, Murphy and Pierce (1993) を参照.


しかしながら,スキルへのリターンはある個人の生涯にわたって一定だという仮定はたしかにあまりに厳しすぎるものではある.たとえば Murphy and Welch (1992) はアメリカの労働市場において教育によって賃金曲線 (age-earning profile) がかなり異なっているのを示している.とはいえ,同様の議論はこの場合にもあてはまる.たとえば,スキルへのリターンは年齢 s に左右されると仮定してみよう.すると,方程式 (10) は t年における年齢 s の世代 c についてこう書くことができる:


さらに,γ{st} = γ{s} + γ{t} としてみよう.するとこうなる:


ここでは明らかに s’ – s = t’ – t となっている.さて,これと別の世代 c’’ をみるとしよう.この世代は t年において年齢 s’ であり,t’’年では年齢 s となる.すると下記がえられる:


したがって,二重差*2


から,時点 t’’ と t’ の間におけるスキルへのリターンの真の変化が明らかになる.【脚注6】

アメリカの人口統計の 1950, 1960, 1970, 1980, 1990年のデータを用いた Table 2 は,26〜55歳の白人男性について,世代内の不平等の一重差*3 と二重差を示している.一重差は,大半の世代において,大卒へのリターンが 1970 と 1980 を例外として〔他の年では〕増加しているのを示している.したがって,こういった増加は年齢ごとに異なる教育の効果を反映している見込みが高い.これに対して,Panel C に示してある1950-70の期間の数字は増加を示しておらず,二重差は選別効果を統制するいい仕事をしているのをうかがわせる.1960-80の期間の数字はマイナスになっている.このことは,1960から1980年の間に大卒プレミアムが減少しているのを反映している見込みが高い.一番下の列は,この表のいちばん重要な結果を示している.1970-90の二重差は大きな正の数字になっている.これは,教育への真のリターンがアメリカにおいてこの期間に増加したことを示唆している.興味深いことに,1980年代をとおして若年労働者ほど大卒プレミアムの増加は素早いものとなっていたという周知の証拠がある一方で,Table 2 の結果は,1970年から1990年の間におきたスキルへの真のリターンの増加は 1936年から1955年の間に生まれた世代で類似したものとなっている.したがって,こうした結果は,1980年代から1990年代のアメリカで起きた大卒プレミアムの増加の主要な要因はスキルの価格の変化であって選別効果/シグナリング効果ではないのだということを示している.


Table 3 は John, Murphy and Pierce (1993) の Table 3 を引用したもので,これは全体および残余の不平等は合成の効果によっても説明できないことを示している.たとえば Panel A は,1935年から1964年にかけて順に市場に登場した世代(コゥホート)別の 90-10 の賃金格差*4 は1964-1970年にわたって近似的に一定だったものの,1970-1976年の間でどの世代でも急に上昇し,つづく 1982-1988年でもさらに上昇しているのを示している.Panel B は log wage residual*5 について同様の見取り図を示している.こうした結果からは,過去30年間で賃金の構造に生じた変化は選別効果やシグナリング効果では説明できず,これらの効果は限定されている見込みが高いことがうかがわれる.


シグナリング効果は限定されているという第二の証拠は,Acemoglu and Angrist (2000) で報告されている結果からえられる.義務教育関連法*6 の変化に促されて,1920年から1960年の間にアメリカの諸州における平均的な学校教育の増加している.彼らは,この変化が賃金に及ぼした影響を推定している.シグナリングが存在している場合には,時系列横断的な賃金の回帰分析*7 により含意される値を下回る率(i.e. 6-8%以下.たとえば Card, 1999 を参照)で平均賃金は上昇するはずだ.有意な人的資本の外部性が存在している場合には,平均賃金はそれ以上に上昇するはずである.Acemoglu and Angrist (2000) の発見によれば,時系列横断的な賃金の回帰分析により含意されるのと同様の分だけ上昇している.言い換えるなら,正・負いずれについても人的資本の外部性〔の影響〕を示す証拠は見つかっていないということだ.したがって,この証拠はシグナリングが賃金に及ぼす効果も限定されていることを示唆している.


(蝸牛の歩みで 4.2 につづきます.)

*1:この箇所の翻訳はとくにあやしいので,どなたかチェックお願いします.

*2:double difference

*3:single difference

*4:90-10 differential

*5:この箇所わかりませんでした.おどらく "log residual" という概念があるのだと思うのですが,ぼくにはさっぱりです><

*6:compulsory schooling laws

*7:cross sectional wage regression