メモ:「いのちをお金ではかるなんてとんでもない」ですか?

数年前にディナーパーティに出席したときのことだ.そこには,新たに健康管理学部にやってきた教授も出席していた.大学院からでたばかりの教授というのは,やたらと知的な議論に熱心なものだ.彼女もその例外ではなかった.席を隣り合わせていたところ,彼女がいきなり質問してきた.経済学の研究というのは人命の価値をドルで計ろうとするわけですが,そのへんはどうなのですか,というのだ.彼女は大学院でそういった研究にいくらか目を通したことがあって,人命の価値を有限の決まった額面とイコールで結ぶことが気に入らないとのこと.彼女の感覚だと人命には無限の価値があるのであって,彼女の見解に反する経済学の研究を形容するのに「不道徳」とか「おぞましい」といった言葉を使うのだった.


 これに答えてぼくは言った.君じしんだってみずからの命に無限の価値をおいてはいないし,そのことはかんたんに説得できるよ.彼女はまさかそんなことを説得されるわけがないと自信たっぷりだったけど,やってみる機会は与えてくれた.まず,このディナーパーティには車を運転してきたんだよね,とぼくはたずねた.彼女の答えはイエス.じゃあ,ほんのわずかな可能性ではあるにせよ,パーティにくる途中で事故にあって死んじゃう可能性はあったと思うかい,とぼくは訊いた.ふたたび答えはイエス.最後にぼくはこうたずねた.するとたかだかパーティに出席するためであっても,君がいう無限の価値がある命を失うちょっとしたリスクを冒したのはどうしてなの? 彼女はちょっと考え込んでから,ぼくの言い分は妥当だと認めてくれた.だからって,家からいっさい出ちゃいけないって意味で言ったんだと思ってないといいんだけどね.


 ぼくが言わんとしたのは経済学者が明示的にやっていることで,それをほぼ全ての人は暗黙のうちにやっている.それは,人命に有限の価値をおくってことだ.他分野の研究者とおなじく経済学者も政策分析でトレードオフを推計するのに人命の価値の統計的な推定を使っている.これが費用便益分析における人命の価値だ:安全性の改善に要するお金の費用に対して,その改善した安全性の便益はお金にしていくらになるか,ということ.救われる人命で便益をはかるとすると,それを割り出すためには人命の価値をドルにすることが重要となる.このあとのセクションで,この事実をいやというほどハッキリさせることにしよう.


(Harold Winter, Trade-offs: an introduction to economic reasoning and social issues, University of Chicago Press, 2005, pp. 9-10)


上記のような「人命は有限の価値ではかられている」・「人命をお金ではかれる」という主張はけっして偽悪的に言っているのではなくて,現にそれにひとしい判断を私たちがやっている,それは事実ではないかと著者は指摘しているわけです.(とはいえ,ちょっといじわるな口調ではありますが.)


Trade-offs: An Introduction To Economic Reasoning And Social Issues

Trade-offs: An Introduction To Economic Reasoning And Social Issues



この Trade-offs は田中秀臣先生のブログ経由で購入したもの.

合理的中毒者を考慮した禁煙規制についての議論が本書の中核をしてめていて、その他は入門的な話題である。この合理的中毒者への評価はタイトルの通りに、解決策はなくただトレードオフがあるのみ、という視点から記述されたものとなっている。ETSの評価などが日本での通説?とはなんだか異なるのであとでチェックしておこう。英語に馴れていれば2時間ぐらいで飛ばし読みできる内容。


──2時間で飛ばし読み…できませんでした.