カタカナぎらい…かも:「モダリティ」と「様相」


 本ブログでは,意味論でいう modality に対応する用語に「様相」を使っています.

 論理学などの分野ではごくふつうの用語(訳語)なのですが,言語研究では「様相」は少数派で通常は「モダリティ」といいます.じっさい,ぼく自身もオフラインではたいてい「モダリティ」で通しています.

 ここで「モダリティ」といわずに「様相」と言っているのは,基本的に2つの理由によります.

 ひとつは,言語研究の分野では「モダリティ」が「話し手の態度」にひとしい意味の用語となりつつあるので,それとの差別化をはかるためです.たとえば中右実『認知意味論の原理』では,「モダリティ」を定義して発話時点における話し手の態度あるいは発話意味の主観的な部分としています*1.定義問題なのでそれはそれでいいのですが,これがさらにすすむと,もともとの可能性や必然性といった意味にかぎらず話し手の態度に関わるものはなんでも「モダリティ」ということになります.それならはじめから「話し手の態度」またはたんに「態度」と言えばよいように思います.また,形式意味論などとのまともな接点はなくなってしまいます.これに対し,「様相」は慣習的にあくまで可能性・必然性を中心とする用語ですので,比較的狭い定義にとどめられています.たとえば「話し手の態度」による定義ですと,能力や状況による可能性をあらわす can の用法は「モダリティ」ではないことになりますが,「様相」にはカウントされます(dispositional modality とか event modality とか root modality とか dynamic modality などに下位分類されます).

 「モダリティ」といわずに「様相」という2つめの理由は,形容動詞で「モーダルな」というのがイヤだというそれこそ主観的な事情によります.たとえば,次のような表現を比較してみますといくらかご理解いただけるのではないかと:

  • modal meaning : 「モーダルな意味」 vs. 「様相的な意味」
  • modal notion : 「モーダルな観念」 vs. 「様相的な観念」
  • modally modified : 「モーダルに修飾された」 vs. 「様相的に修飾された」


 どうでもいいと言えばどうでもいいことですが.

*1:もう少し細かく言いますと,同書では「モダリティ」を「文モダリティ/Sモダリティ」と「談話モダリティ/Dモダリティ」とにわけます.このため,ある程度まで定義の拡散に抑制がきくようになっています.