「このフィグっていうの,すっごいおいしかったんだよね」


表題の例は,放送中のアニメ『西洋骨董洋菓子店』第9話からの引用です.

「このフィグっていうの,すっごいおいしかったんだよね」


ものすごく普通の発話ですよね.

 ですが,ぼくにとってはちょっとした問題です.

 まず,「おいしい」の主語にあたる「このフィグっていうの」に注目します.

 「この」は,洋菓子店のケースに陳列されている具体的なフィグを直示的に指しています.つまり,フィグの特定のインスタンスを指しているわけです.と同時に,「このフィグっていうの」という名詞句全体としては,フィグ一般*1を指示しています.

 次に,主語+時制抜きの述語を考えてみます.

 「このフィグっていうの」+「おいしい」*2は,フィグ一般においしいという性質があると述定します.陳列されている特定のインスタンスがおいしいと述定するわけではありません.

 この例が現在時制だったなら,話は以上でおしまいです:陳列されている特定のインスタンスを直示的に参照しつつフィグ一般の性質を述べる一種の総称文だとみればいいでしょう.

 ところが,過去時制であることでさらにひとひねりが加わります.

 あたりまえですが,過去時制は過去をあらわします.では,この発話ではなにが過去になっているのでしょうか?

 総称文の過去時制だということからストレートに考えて,「フィグ一般はおいしかった;もはやそうではない」ということでしょうか? だとすると,話し手はいま現在はフィグ一般をおいしいと評価していないということになります.もしそうなら,この発話の後でフィグを買う行動につながるのはおかしいですね.(おいしくないと思っているのになんでわざわざ買うんだ,っていう.)

 とはいえ,「もはやそうではない」の部分は状態述語の過去時制にともなう一般化された会話の推意ですから,これを打ち消して「今現在もそうである」と解釈する可能性も原則としては考えられます.ですが,「フィグ一般はおいしかった;いまもそうである」が伝達内容だとすると,それは現在時制で伝えられることですので,わざわざ過去時制を選択する理由がとぼしくなってしまいます.

 どうやら,フィグ一般について述べているという解釈がうまくいかないようです.

 これは,過去時制が総称文をまるごと過去にスライドさせるという仮定がおかしいのだと考えられます.

 この発話が伝えているのは,(a)話し手は過去にフィグのインスタンスを食べており,(b)そのインスタンスを「おいしい」と感じ,(c)その評価をフィグ一般にまでひろげた,ということです.

 つまり,過去時制はフィグのインスタンスを食べた経験 (a)-(b) が過去にあったことを合図していると考えられます.一方で,(c) の総称の述定部分は現在時制に相当し,いま現在も話し手はフィグ一般をおいしいと評価しています.

 以上の観察をふりかえってみましょう:

  1. 直示的な「この」で目の前にあるフィグのインスタンスを参照点にしつつ:
  2. 主語「このフィグっていうの」全体としてはフィグ一般を指示し;
  3. 時制抜きの主語+述語(項-述語構造)はフィグ一般について「おいしい」という性質を述定する;
  4. 過去時制は,フィグのインスタンスを食べた過去の経験と評価をあらわす一方で;
  5. 総称文の発話としては,その経験から帰納されたフィグ一般についての発話現在の評価をあらわす.


箇条書きにするとややこしい感じがしますが,このごく平凡な発話の意味理解には(少なくとも)以上のようなことが含まれているらしいのです.

 これをお読みになった方は,この発話をどんなふうに考えられるでしょうか.


関連エントリ:

*1:少なくとも,「カフェ・アンティークのフィグ」くらいまでは一般的なはずです.

*2:「おいしい」の「い」は時制をあらわす要素ですので,時制抜きの述語を考えるときは本当は除外しなくてはいけません.ここでは読みやすさに配慮してこう表記しています.