クワイン「累積的指示」


 昨日のエントリの補足です.

 質量名詞の water などは,等質で境界をもたないものとして概念化されていて,たとえばある分量の水を足し合わせたものもやっぱり水であると私たちは当然のこととして推論します.(当たり前すぎて「推論」と呼ぶのが不自然な感じすらするかもしれませんが,たとえば happiness のような抽象的な概念でも "much more happiness" とか "a pile of happiness" というように〈量〉を考えるとき,water と同様の認知がはたらいています.)

 このことを,クワインは「累積的な指示」として述べています:

So-called mass terms like 'water', 'footwear', and 'red' have the semantical property of referring cumulatively: any sum of parts which are water is water. Grammatically they are like singular terms in resisting pluralization and articles. Semantically they are like singular terms in not dividing their reference (or not much; cf. §20). but semantically they do not go along with singular terms (or not obviously; cf. §20) in purporting to name a unique object each.
(Willlard Van Orman Quine, Word and Object, MIT Press, 1960, p.91;イタリック原文,太字は引用者)

'water' 'footwear' 'red' といった,いわゆる名辞 (mass term) は,水のいかなる累積も水であるという意味で,〈累積的に指示する〉という意味論的性質を有している.量名辞と単称名辞は,文法的には,複数形を作ることも冠詞を付けることもできないという点で類似しており,意味論的には,指示対象を分割しない(あるいは,たいして分割しない──第20節参照)という点で類似している.だが意味論的には,単称名辞は唯一の対象を名指すことを意図しているものでる,この点で量名辞は単称名辞と歩調を同じくしない(もしくは,歩調をはっきりと同じくしているとは言えない──第20節参照)のである.
(『ことばと対象』,大出晃・宮舘恵=訳,勁草書房1984年,p.142;太字は原文の傍点に対応)


おそらくこのクワインの「累積的指示」が,「加法特性」や「伸張可能性」といった概念の元祖なのだと思います.もっとも,ラネカーのように独立に類似の概念を提示しているケースもあります(こういうのはよくあることですね──ぼくみたいのがやると怒られますが).

 もう少し引用しておきます:

さて,述定において果たす役割の違いとして明確になった一般名辞と単称名辞の二分法に話をもどすことにしよう.この二分法に関して量名辞がどっちつかずであることは,述定において,驚くほど顕著に見てとられる.というのは,量名辞は形容詞の形での一般名辞のように,'is' の後で述定に加わることもあれば,単称名辞のように 'is' の前で述定に加わることもあるからである.もっとも単純な方法は,'is' の後に現われたときは一般名辞として扱い,'is' の前に現われたときは単称名辞として扱うというものであろう.

 'is' の後に量名辞が現れる例は,
 'That puddle is water' 〔「その水たまりは水である」〕
 'The white part is sugar' 〔「その白い部分は砂糖である」〕
 'The rest of the cargo is furniture' 〔「積み荷の残りは家具である」〕
である.
 'that puddle' 〔「その水たまり」〕
 'the white part' 〔「その白い部分」〕
 'the rest of the cargo' 〔「積み荷の残り」〕
といった複合単称名辞は次節で考察されるのでここでは関わらないでおこう.目下の要点は,むしろ,量名辞の述定的用法にある.このような文脈での量名辞は,
 'is water' 〔「水である」〕
 'is sugar' 〔「砂糖である」〕
 'is furniture' 〔「家具である」〕
をそれぞれ
 'is a bit of water' 〔「少量の水である」〕
 'is a bit of sugar' 〔「少量の砂糖である」〕
 'is a batch of furniture' 〔「一かたまりの家具である」〕
と読んで,一般名辞と見ることができる.一般に,述部に現われた量名辞は,小さすぎてそれと見なせない部分だけは除き,当の物質のどの部分についても真である一般名辞と見なしてさしつかえない.したがって,'water' と 'sugar' は,一般名辞の役としてはそれぞれ世界中の水と砂糖のどの部分についても個々の分詞に至るまで真であるが,原子に至っては真でない.また 'furniture' も,一般名辞としては,個々のいすに至るまで,世界中の家具のどの部分についても真であるが,脚や心棒に至っては真でないのである.
(訳書 pp.154-5)


ことばと対象(双書プロブレーマタ3)

ことばと対象(双書プロブレーマタ3)