「あの映画,面白いよ/面白かったよ」


評価の形容詞「面白い」が現在/過去時制で示す対比がぼくにとっては謎です:

A: この映画,面白い?
B1: 面白いよ.
B2: 面白かったよ.


質問への答えとしてどちらも適切なのですが,「面白い」の方は永続的な映画の特性を述べているのに対して,「面白かった」の方だと過去に映画を観た経験があり,そのときに「面白い」という評価をしたという意味になっているように思います.評価そのものは現在も有効で,この Bさんは,いまも当該の映画を面白いと思っています.

 また,主観的な評価/経験があるためか,「面白かった」の方は評価/経験の主体をあらわす「ぼくは」と自然に共起できます:

A: この映画,面白い?
B3: #ぼくは 面白いよ.
B4: ぼくは 面白かったよ.


ただ,「ぼくは」にすると「面白い」との共起がいくらか自然になります:

A: この映画,面白い?
B5: (?)ぼくには 面白いよ.
B6: ぼくには 面白かったよ.


それでも,過去時制の方が比較的に自然だという点は動かないように思います.

 とはいえ,こうした現在/過去の対比は固定しているわけではなく,たとえば映画を観ている最中のやりとりを考えますと,冒頭の例と逆に,過去時制はおかしく現在時制の方が適切になります:

A: この映画,面白い?
B1: 面白いよ.
B2: #面白かったよ.


 こうしてみますと,どうも,主観的な評価を表している場合には,評価そのものではなくて評価がなされる特定の時点──経験の時点──が時制によって影響を受けているように思えます.


2008-08-14追記

最後の例では,「ぼくは面白いよ」とも言えますね.