フェアな引用:「異論の階層」に関連して

ヨーロッパの書物や雑誌で見る論争と,日本のそれとの一つの顕著なちがいは,前者では,論争相手の主張が──多くの場合 非常に長い引用で紹介されているので,相手が大体 何をいかにのべているのかが反対者の文章を通じてでも見当がつく.日本の場合には,相手はもっぱら不道徳な存在か,そうでなければ愚劣な矮小化された形でしか現われてこないので,もとの文章を読まないでは,相手の論理をほとんど理解することができない.マンハイムが学問的自由とは知的好奇心にほかならず,ヘーゲル的なコトバでいえば,他者を他在において理解することなのだといっていることが思い出される.ここでマンハイムはナチ世界の学問的不毛性と頽廃の根源をまさにそうした知的好奇心の欠如に見出しているのだ.
丸山眞男『自己内対話』みすず書房,1998年,p.254;太字箇所は原文で傍点を付す)


以前,ポール・グレアム異論の階層」を紹介しましたが,批判する対象を正確に引用して検討することは不当な歪曲をさけるためのルールとして広く共有されて欲しいと思いますね.