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「教えて! goo」に「発話行為とは」と題する次のような質問が投稿されていました:

今、英語の語用論について勉強しているところです。その中で、発話行為 (speech act)について学んでいるところですが、発話行為とはどのような行為かということがいまいちわかりません。
ご存知の方がおられましたら、教えてください。宜しくお願いいたします。


このタイプの質問に答えるのは容易ですが,そうやって回答することは長い目でみるとあまり有益ではないだろうと思います.このような質問をする方は,第一に質問の仕方が悪く,第二にそれと関連して質問する前の「勉強」がおろそかにされています.長い目で見ればこの2点を改善することの方が発話行為の定義を暗記することよりも大事です.

 この話題は,昔から「教えて君」関連で繰り返し取り上げられてきたことと重複しています:


いまさらぼくが加える論点などなさそうですが,あらためてこの事例で解説してみます.エントリのタイトルが結論です.

質問の仕方:ポイントを絞る


【どうわからないのか説明しないと,どう答えたらいいのかわからない】


 さて,問題の質問には「発話行為とはどのような行為かということがいまいちわかりません」と記されています.一見したところ,わからない点は明確ですから,「発話行為とは〜」と答えればすむように思えます.これはかんたんです.たとえば,信頼できる入門書や用語辞典から該当箇所を抜き出してみればいいでしょう.

 しかし,ここで疑問が浮かびます.

 質問者は語用論を勉強していると言っているのですから,そういった解説をいくらか読んだうえで「発話行為とはなにか」と訊ねているはずです.教科書的な解説を読み,かつ/あるいは大学の講義などで説明を聞いて,それでも発話行為がどういうものかわからないので質問をしているのでしょう.質問にある「いまいちわかりません」の「いまいち」には,そうした事情がうかがわれます.

 そうでないのなら,「勉強している」はウソです.

 さて,こう考えますと,教科書的な解説を記したところで必ずしも質問者のわかりかねている点が解決されるわけではないとわかります.

 質問者がどのような教科書・参考書をみていて,その解説のどういう部分がわからないのか,それがわからないと適確な回答はできません.そして,その部分をはっきりさせるのは質問者の仕事であって回答者の仕事ではありません.

 質問者のmaabu7さんは,「いまいち」という曖昧な言い方ですませるかわりに,たとえば次のように書くべきでした:

今、英語の語用論について勉強しているのですが,「発話行為」(speech act) という概念の理解でつまづいています.

『○○』という教科書で「発話行為とは××で△△ある」(p.xx) と説明されており,その中の「××」という部分はわかるものの,「△△」がどういうことなのか,よくわからないのです.


せめてこういう形でわからない部分を限定してあれば,回答すべきポイントもはっきりしてきます.

 しかしながら,ここでさらに疑問がわいてきます.

 わからない部分が限定できているなら,「発話行為」に関する類書の解説にあたってみればいいのではないでしょうか?

質問する前にどれだけ調べたのか


【さっさと自分で調べる方が早くてお得】


発話行為」について教科書や講義で解説されたけれどよくわからない部分があり,その部分はある程度まで絞れている──この段階にたどり着いているなら,じぶんの手元にある教科書以外の解説をのぞいてみるのがいちばん手早い解決策です.

 いまの事例ですと,質問者のmaabu7さんは「発話行為」が語用論の概念だとわかっているのですから,語用論の教科書をさがしてみればいいと見当をつけられるはずです.

 たとえば大学生であれば,大学の図書館に行って蔵書を検索してみればいいでしょう.

 たんに「語用論」で検索すると専門的な研究書まで引っかかりますから,「語用論+入門」や「pragmatics + introduction」というように検索してみると,少なくとも3冊くらいは所蔵されているはずです.

 検索でかかった本が開架している場所をメモし,とりあえずその本を全部取り出して,その辺の閲覧スペースに行きます.(ここまでだいたい5〜15分くらい)

 目次を開き,「発話行為」と題する章を探します.みつかったら,その章で発話行為を解説している箇所をじっくり読みます.「発話行為とは〜」というセンテンスだけをみるのではなく,発話行為を取り上げているセクションを通読します.大事そうな箇所があったら,そこに付箋をはっておくとあとで便利です.(これが1冊あたり30分〜1時間くらいでしょうか)

 1冊目でもよくわからなかったら,さらに次の本で同様のことをやります.

 ふつうは,3冊くらいあればそのどれかで不明な点が解決します.少なくとも,読む前と読んだ後ではわからないことについて多少は進展するものです.たとえば,「問題の“△△”について,この教科書では A と言っているけれど,別の教科書では B と言っている.どちらが正しいのだろう?」というように,疑問点が変わっていることでしょう.

 ひととおり読んでみたら,付箋を貼った箇所をあらためてノートにとったり,コピーしておきます.ここまでだいたい2時間〜4時間くらいです.

 ここまでやってみた上で,なおもよくわからないことがあれば,質問してみるのもいいでしょう.たとえばこういう具合です:

今、英語の語用論について勉強しているのですが,「発話行為」(speech act) という概念の理解でつまづいています.

『○○』という教科書で「発話行為とは××で△△ある」(p.xx) と説明されており,その中の「××」という部分はわかるものの,「△△」がどういうことなのか,よくわからないのです.

この点について調べたところ,『α』という本では「A」(p.yy) と説明してあり,『β』という本では「B」(p.zz) と説明してありました.ですが,どちらの説明が正しいのかよくわかりません.

これについてはどのように考えたらいいのでしょうか? また,この点がわかる本がありましたらご教示ください.


オリジナルの質問からずいぶんと内容が変わりましたね.ここまで調べてあれば,回答者もどういう点を解説すればいいのかよくわかります.また,事前にいくつかの本で調べてあることから,質問者が本当に「勉強している」のだとわかります.質問内容が厳密になった分だけ安易な回答はでてこなくなりますが,それで失うものなどありません.いいかげんな回答は,いまやお呼びではないのです.

 そして,幸運にして求める回答が得られた場合,その質問と回答の記録は,質問者だけでなく他の人々にとっても2つの点で有益となります.

 第一に,同じ困難を抱えている他の学習者にとって役に立つということ.いろんな教科書を見ても解決されないということは,その疑問点に対する答えに価値があるということです.ただし,回答がどれほど信用できるかという大きな問題は残ります.

 第二に,複数の教科書をみても解消されなかった疑問は,教科書を書いている専門家にとって死角になっていると考えられます.つまり,その部分が初心者にとってわかりにくいということが著者の専門家には見えていないのです(「知識の呪い」).

 往々にして,よい質問はよい回答を引き出します.それは質問者だけでなく他の人たちにも有益となります.

軽蔑することを学ぶ


 さらに大事なことがあります.

 以上のようなことを読んでも,「そうは言っても,3時間とか手間暇をかけて調べ物をするのは要領が悪いじゃないか」と(本心では)思うような方もおられることでしょう.他人の利得なんか知るか,そのへんの質問サイトで手っ取り早く回答がもらえるなら,そっちの方が楽にすませられるではないか,というわけです.

 たしかに,同じ結果を得るなら要領よく楽にすませるのが賢明です.

 問題は,調べ物をするのとしないで質問サイトに頼るのとでは自分が手にする結果がちがう,ということです.

 第一に,調べ物をした場合には,曲がりなりにもその分野の専門家が書いた解説をじぶんで選んで読むことができます.他方で,質問サイトでは回答者をじぶんで指名できませんし,専門家が答えてくれるとはかぎりません.

 第二に,教科書の記述は講義のレポート課題やテストの論述問題で引用できますが,質問サイトの回答は引用に適しません.教科書はソースとして(一応)信頼できますが,質問サイトの回答は信頼できません:「〜というサイトでの回答によれば…である」という引用は,「私の友達の田中さんによれば…である」と同じかそれ以下なのです.ちなみに,その点ではこのブログのエントリも同様です.*1

 第三に,調べ物をしたときにとったノートやコピーはあとあとまで活用できます.語用論を勉強しているというのであれば,少なくとも半年から1年くらいはこの話題とつきあっていくわけです.それなら,ノートやコピーはしばらくたって見直したりする用途がでてきます.それに対して,質問サイトで回答をもらった場合には自分の手元に残る資料はなにもありません.

 第四に,そしていちばん大事なこととして,調べ物をする方法とコツがわかります:よく知らない分野で調べ物をするときに最初にどういう本にあたればいいのか,目次や索引の使い方,調べた情報の整理の仕方,図書館の蔵書分類,コピーの上手なとり方,場合によっては練習問題をじぶんで解くのが有益であること,などなど.こうしたノウハウは,何年たっても使えます.他方で,質問サイトで回答をもらった場合,こうしたことはいつまでたっても身につきません.

 このように,調べ物をするのと質問サイトで答えを得るのとでは,結果がちがいます.

 調べ物の仕方がわかってくれば,質問サイトでアテになるかどうかわからない回答を待つよりも,図書館に行って信頼できるソースを自分でさっさと調べてしまう方が話が早いことに気がつくでしょう.また,質問をするにしても,相手にとって答えるべきポイントを明確にする質問の仕方がどういうものかもわかってくることでしょう.

 すると,少し調べればわかることを質問サイトで訊ねることの要領の悪さ,信頼性のない回答を待つ筋の悪さがみえてきます.

 ろくに調べもせず安易に質問する行為を軽蔑することを,ぼくはそのようにして学びました.


同日追記

本エントリでの教科書についての見方は甘いかもしれません:

教科書だから親切な説明がなされている、というのは誤解である。なぜなら、教科書というのは、講義で補完されることを前提として書かかれている。だから、潜在的に、ないし、確信犯的に、説明の行き届かないところや無味乾燥なところがあるのだ。練習問題に解答がない場合も多い。(載せちゃうと学生に宿題に出せないからね)。このように教科書というのは一般に独習に向かないが、〔…〕

(「 『入門ベイズ統計』の読みどころ」− hiroyukikojimaの日記)


(※2008-07-28修正:ものすごい誤植をしていました.)

*1:なお,レポートなどでサールの文章を本ブログから引用するのはダメです:原書から引用しましょう.ここにあるエントリはせいぜい訳文の参考くらいにしかなりません.