図解:ポール・グレアムの「異論の階層」



 上記の図は『ハッカーと画家』などで知られるポール・グレアムのエッセイ "How to Disagree" の内容を図解したものです(クリックすると大きく表示されます).Michael Anissimov の "Paul Graham’s Disagreement Hierarchy" の図をそのまま日本語に置き換えました.というわけで,(例によって)ぼくはなんにも知的に貢献してません(´・ω・`)

 図の中のピラミッドには,他の人の意見・主張に反論するやり方が,ダメなものからちゃんとしたものまでならんでいます.グレアムはそれぞれの階層を下から順に DH0〜DH6 とラベルをつけています.ピラミッドになっているのは,上の方の反論になるほどみかけることが少なくなるからです.

 図のもとになっているグレアムのエッセイは,tamoさんの手によって読みやすい日本語に翻訳されています:「How to Disagree by Paul Graham の翻訳」(tamoさんの訳文と上記の図とで用語の訳し方がちがっていますが,これはたんにぼくの好みの問題で他意はありません).これ以外にも,ポール・グレアムエッセイは多数が訳されています:「naoya_t:ポール・グレアムのエッセイと和訳一覧

 以下,蛇足ですがそれぞれの階層についてかんたんに説明します.(グレアムのエッセイそのものを読んでいただく方がはやいかも?)


 いちばん下 (DH0) は「罵倒」(Name-Calling) で,相手の意見に対してバカにする態度だけを表明することを指します.(グレアムは「最低の反論形態」と評価しています.たしかにそうですね.)

 その次の DH1 は「対人論法」(Ad Hominem).議論の中身は関係なく,相手の地位や権威(高いのも低いのも),あるいは属性を標的にして意見を攻撃するものを言います.たとえば「公務員削減に反対だって? そりゃそうだろうアイツは公務員なんだから」とか「ポルノ規制に反対なんて,よっぽどエロいのが好きなんだなw」というように利害関係や動機だけを攻撃したり,「中卒のやつ(or 女子供/移民/大学教授/専門家 etc.)が言うことなんて間違ってるに決まってるだろ」というように権威を問題にすることがこれにあたります.

 ここまでの「異論」は,相手の書いたものにまったく触れていない点に注意してください.

 もうひとつ上の階層 DH2 に進むと,やっと文章に言及するようになります:「語り口に反応」(Responding to Tone).でも,この階層の異論はものの言い方や口調ばかりを批判して,議論の中身を取り上げません.たとえば「えらそうな書き方だなぁ,何様のつもりだよ」とか「ずいぶんたのしそうにはしゃいでますね」といった論評のしかたがこれにあたります.

 次の DH3 は「ただの反対」(Contradiction).ここにきてようやく議論そのものに対して反論がなされます──しかし,それだけです:「犯罪が減少しているだって? そんなわけないでしょう」・「ゲーム脳がトンデモだと言われますがそうは思いませんね」というように,意見がちがうということは述べられるものの,そう考えるべき理由や論拠は「ほとんど(あるいはまったく)」提示されません.ここで大事なのは,主張そのものが正しかどうかではなくて,論拠をちゃんと提示しているかどうかです.

 さらに DH4 の「反論の提示」(Counterargument) になると,反論とともにその論拠も提示されます.たとえば「進化論はまちがってます.○○社の世論調査によると我が国で進化論を信じていない人は 72%もいますよ」というように論拠を示すような反論の仕方がこれです.反論の仕方としてずいぶんよくなっていますが,必ずしも的を得ているとはかぎりません:いまあげた例では,「進化論は正しい」という相手の主張に対して「世論」を論拠に反論していますが,仮説の真偽が世論で決まるという前提にたっていて,論証があさっての方向に向かっています.

 上から2つ目 DH5「反駁」(Refutation) は,相手の言っていることを引用しながら間違っている箇所を指摘します:おおよそ「彼は“(引用)”と書いているけれどこれはまちがっている,なぜなら…」というかたちになっているのがグレアムのいう反駁です.引用があるというのが大事で,具体的な文章を引用することで人が言ってもいないことを批判するミスが避けられます.ですが,具体的なマチガイを指摘していても,些末なことばかりを批判していて主眼となっている主張を対象にしていないケースもあります.

 いちばん上の DH6「主眼の反駁」は,批判対象のいわんとしている主眼をはっきりと反駁するものを指します.「この文章が主張しているのは“(主眼)”ということだ;しかしこれはまちがっている;なぜなら〜」という論証のかたちになっているものがこれです.

 グレアムはとくに書いていませんが,主眼を論駁するとき,批判対象の些末な欠点をあらかじめ修復・補強してから批判するというのがおそらくベストな批判なのだろうと思います.というのも,そうやって補強してもなお主眼が反駁されるなら,おそらくはその反駁こそ,その時点で相手と自分が共有できる最良の知識であるはずだからです.これに関連して,グレアムがいいことを書いています:

うまく反論することの最大の益は、会話の質を向上させるだけのことではなく、会話してる人たちを幸福にすることにある*1。会話の実例を研究すると、DH1 には意地の悪さが DH6 よりずっと多いとわかる。しかしほんとうに大事な論点があるとき、人は意地悪にならなくてもいいはずだ。というより、なりたくないはずである。語るべき真理があるとき、意地の悪さなど邪魔なだけだ。


――でも,わかっていてもなかなか実践できないものでして orz


ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

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*1:2008-06-27訳文修正:id:eguchi_satoshiさんのご指摘に感謝