前置詞の for をいつもいつも「〜のために」と訳すのは


あまりよろしくないように思います.少なくとも,それ以外に「〜にかわって」という解釈をあたまに入れておいた方が,多くの場面ですんなりと英文を理解できるようになります.

 さきほどのエントリで訳文を対比したSFAAの原文に,このような箇所があります:

(...) no scientist, however famous or highly placed, is empowered to decide for other scientists what is true (...)


正式版の訳では,ここは次のように訳されています:

いかに著名であれ,また高い地位に就いていても,他の科学者のために何が真理であるかを判断する権限は誰も持っていないのである


「他の科学者のために」と言うと,あたかもその人たちがありがたがりそうな意味合いがでてきます.しかし,この文の趣旨はむしろその逆で,「べつに頼んでもいないのに他の科学者たちにかわって(さしおいて)何が真理であるかを判断してしまうなんて権限は誰にもない」というわけです.これはありがたくないことです.

 この「〜にかわって」の語義を,Collins COBUILD CD-ROM 2006 はこう説明しています:

If someone does something for you, they do it so that you do not have to do it.
(誰かがあなたのかわりになにかをやると,その人がそれをやったことであなたがやる必要がなくなる.)


上記の SFAA の文章はまさにこれですね:特定の科学者が他の科学者たち「にかわって」真理を判断すると,後者の人たちが真理を判断する必要がなくなってしまいます.しかしそんな権限は誰にもないのだ,というんですね.

 このように,「〜のために」に加えて「〜にかわって」という英文解釈のしかたを覚えておくと,ちょっとお得です.

 ただ,もしかすると,こんな疑問をもつ方がおられるかもしれません:「そうはいっても,誰か「にかわって」何かをするということは,その人「のために」することにつながるんではないの?」 

 たしかに,多くの事例では,「当人のやってほしいことをその人になりかわってやってあげる」という状況になっていますから,「〜にかわって」イコール「〜のために」ですね.ですが,上記の SFAA のようにイコールにならないケースもありますから,実際的な語学の問題として,2つの語義を区別しておく理由はそれなりにあるとぼくは考えています.

 それに,単純に日本語だけを問題にしても,「彼女が僕のためにケーキを買ってくれた」と「彼女が僕のかわりにケーキを買ってくれた」では意味合いがずいぶんちがってきますよね.前者ではきっと「僕」はケーキを食べられますが,後者ではそうとも限りません:誰か他のひとにあげるケーキを,ほんとうは「僕」が買うはずだったのに「彼女」が買ってくれた場合だってありえます.