「発生論の誤謬」(genetic fallacy)


前記の「外在的実在論は正当化されているか」に関連しているのですが:

私が知的に未熟だったころ,発生論の誤謬のもっとも一般的なかたちは,フロイト主義とマルクス主義に見られた.「お前はマルクス主義の正しさを疑うのか? そんなことをしても,お前がブルジョワ階級の出自によってまちがった方へ導かれたことがわかるだけだ」「なんだって? フロイトの教えの正しさを疑うだって? そんなことをしても,お前さん自身が抑圧の犠牲になっていることがわかるだけさ」云々.今日では,ポストモダニストによるものを除けば,発生論の誤謬を耳にしなくなった.私はなぜポストモダニストのあいだでそんなにも発生論の誤謬が一般的なのかといぶかしんだものだが,実際のところポストモダニストが使える議論の形式が,発生論の誤謬以外にないという理由を解き明かした解釈を読むにいたって納得した.

ジョン・サール,『MiND:心の哲学』,朝日出版社,2006年,pp.341-2;強調引用者)


脚注をみると,この「解釈」のソースは M. Bauerlein, Literary Criticism: An Autopsy, Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1997 とあります.


Literary Criticism: An Autopsy (Critical Authors and Issues)

Literary Criticism: An Autopsy (Critical Authors and Issues)



※関連箇所を抜粋:

実在論の否認を動機づけているのはあれこれの論証じゃなくて,力への意志であり支配力願望であり根深く執拗なルサンチマンだ.このルサンチマンには長い歴史がある.さらに20世紀後半には自然科学に対するルサンチマンと嫌悪がこれに加わった.科学は,その地位,一目瞭然の進歩,力とお金,そして危害を及ぼしうる圧倒的な能力ゆえにルサンチマンと嫌悪の対象となった.この感情に油を注いだのがクーンやファイアアーベントといった思想家たちの著述だ.

すでに述べた点をここであらためて強調しておく必要がある:反実在論の動機は一般に力への意志であり,とりわけ科学嫌悪だという言明でぼくが意図しているのは診断であって反駁ではない.意図しているのが反駁だとしたら,発生論的誤謬になってしまう:ある見解の因果的な起源を説明すればその見解が偽だと示すのに十分と考える誤謬だ.