ピンカーのいう「急進的語用論」について


はてなダイアリー「shorebird 進化心理学中心の書評など」の shorebirdさんがピンカー The Stuff of Thought の読書ノートを継続して書いていらっしゃいます.

「読書中 「The Stuff of Thought」 第3章 その6」:
http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080122


いつも勉強になるのですが,今回の記事も,初読の際に流していたところを考え直すきっかけになりました.

なにを考え直したかと言いますと,ピンカーがここで Radical Pragmatics という名前でいろんな立場を一括りにしているのが妥当かどうか,という点です.

The Stuff of Thought

The Stuff of Thought


まず,議論の大枠をみておきましょう.The Stuff of Thought の第3章は,彼が主張する概念意味論 (conceptual semantics) を他の3つの説と対比することで明確化するという構成になっています.

その3つの立場は次のとおり:

(A) フォーダーの〈極めつきの生得説 (Extreme Nativism)〉:すべての単語の意味は分解不可能な「原子」であり,その原子=概念は生得的である,という説.

(B) 急進的語用論 (Radical Pragmatics)*1

(C) 言語決定論/相対説の諸種:話者の習得した個別言語によって思考が決定/影響されるという説.(※個人的にはレヴィンソン批判には啓発されました)


で,問題にしたいのが (B) の急進的語用論です.

ピンカーは,この立場を次のようにまとめています:

〈極めつきの生得説〉に対して,反対方向へ極限にまでおし進めたものを想像してみるなら,〈急進的語用論〉がそれに該当するだろう.急進的語用論と概念意味論の見解の不一致は,単語の意味の心的表象が生得的かどうかでもなければ,それが原子的かどうかでもない.相違点は,そもそもそんな表象が存在するかどうかと言う点にある.急進的語用論の合言葉には,ウィリアム・ジェイムズの次の一節がふさわしいかもしれない:《‘観念’または表象が永続的に存在していてときおり意識の舞台上にすがたをあらわす,などということは,絵空事にすぎない点でスペードのジャックと変わらない.》 急進的語用論に言わせれば,同じ単語でも文脈に応じてほぼなんでも意味しうるのだから,単語の意味の基底に永続的に存在する概念構造なんて,スペードのジャックと大差ないつくりごとにすぎない,ということになる
If you could imagine a theory that is as contrary as possible to Extreme Nativism, it might be Radical Pragmatics. Its disagreement with conceptual semantics is not about whether the mental representations of word meanings are innate, or whether they are atomic, but whether they exist at all. The watchword of Radical Pragmatics might be a quotation from William James: "A permanently existing 'idea' or representation which makes its appearance before the footlights of consciousness at periodical intervals, is as mythological an entity as the Jack of Spades." [note41] According to Radical Pragmatics, a premanently existing conceptual structure underlying the meaning of a word is also as mythical as the Jack of Spades, because people can use a word to mean almost anything, depending on the context.

(Steven Pinker, The Stuff of Thought, pp.107-8;強調引用者)

この言い方を額面どおりに受け取るなら,急進的語用論とは語彙項目に一定の概念構造=永続的な表象が符号化されていることを否定する説である,ということになりそうです.

「急進的語用論(ラディカル・プラグマティックス)」という名称は撞着しているようにも聞こえるけれど,「プラグマティックス」が指しているのは言語学の一分野だ.この分野は語用論と呼ばれていて,文脈における言語の使用を話し手のもつ知識や予期の観点から研究している.急進的語用論というのはこの分野の帝国主義的な流派で,言語のさまざまな側面をできるかぎりそうした観点で説明し尽くそうとしている.
"Radical Pragmatics" sounds like an oxymoron, but it alludes to the branch of linguistics called pragmatics, the study of how language is used in context in light of the knowledge and expectations of the conversants. Radical pragmatics is the imperialist bloc of the field, which tries to explain as many aspects of language as possible in those terms. *2

(ibid., p.108)


以上の文章をふまえるなら,急進的語用論とは

(1) 文脈しだいで単語が 「ほぼなんでも」意味できるという事実認識にもとづいて;

(2) 単語に一定の概念構造が符号化されていることを否定しつつ;

(3) そうした多様な意味のバリエーションを可能なかぎり文脈と話し手の想定によって説明することを目指す

──という立場だと定義されるでしょう.


さて,ここで 私たち読者を困惑させるのが,この急進的語用論の具体例に挙げられている顔ぶれです:

この名称をつけたのは言語学者のジェフリー・ナンバーグだ.多くのアメリカ人は,新聞やラジオで彼が言語について述べた論評でその名を知っていることだろう.急進的語用論者には,他に,人類学者ダン・スペルベル言語学者のディアドリ・ウィルソン,心理言語学者のエリザベス・ベイツであるとか,また,コネクショニズムや動的システムとして知られる認知科学の学派のメンバーたちがいる.
The name was coined by Geoffry Nunberg, the linguist known to many Americans from his newspaper and radio commentaries on language.[note 43] Other radical pragmaticists include the anthropologist Dan Sperber and the linguist Deirdre Wilson, the psycholinguist Elizabeth Bates, and members of the schools of cognitive science known as connectionism and Dynamic Systems.

ここで急進的語用論者の例にあげられているのは,次のとおり:

  • ナンバーグ
  • ベイツ


この顔ぶれの多様性にも少し当惑しますが,それ以前に,それぞれの立場はほんとうに急進的語用論の定義に合致するのでしょうか.


まず,この中で,上記の定義にいちばん近いのは関連性理論でしょう(なんといっても語用論ですし).

とはいえ,関連性理論にしても,語彙項目になんらかの概念が符号化されていることを否定してはいないはずです.

単語に符号化されている意味はごく抽象的ないし一義的であって,これが使用文脈において具体的に解釈されることで発話意味の多様性が生まれる──というあたりが関連性理論の共通認識だったと思います.

具体的な分析例をあげてみましょう. たとえば英語の may には

(k) 「〜していい」という許可の意味

(l) 「〜かもしれない」という認識的な可能性の意味

(m) 「たしかに〜だけれども(しかし…)」という是認の意味


といった多義性が観察されます.これを関連性理論の立場から Anna Papafragou はできるかぎり文脈と語用論的な原理によって説明しようと試みています(Papafragou, Modality: Issues in the Semantics-Pragmatics Interface, Elsevier, 2000).彼女は,may に符号化されている意味は「命題 p は命題の集合 D と両立する」であると主張し(p.43),(k)-(m) のちがいはこの D やその他の要因が個別の文脈で異なることによって生じているのであって,may に符号化されてはいないと説明しています.

このように,Papafragou は may の言語的な意味の多義性こそ否定していますが,しかし may になんの意味/概念も符号化されていないとは言っていません.さきほどの定義の項目 (2) には該当しないですね.

ですから,概念意味論と関連性理論の対立軸を言うなら,それは「符号化された概念構造の有無」ではなくて「多義性/一義性」であるというべきでしょう.

精神=脳の問題として言えば,長期的な記憶として多義が貯蔵されているか,それともそうした意味は発話の場での導出にまかされてひとつの意味だけが記憶されているか,という対立軸になります.


じっさい,ピンカーもさきほどの引用箇所のあとでは単語の多義性をあれこれ例示しています.(彼も「多義性/一義性」の対立軸を念頭においていたのではないでしょうか.)

このように,関連性理論については急進的語用論の定義のうち項目 (2) は当たらないと思われますが, (1) と (3) は該当しているので,まだピンカーの話についていけます.


しかし,E.ベイツやコネクショニズムが〈急進的語用論〉だということになると,話が見えにくくなってきます.*3

──そのわりには初読のときには読み流してしまったのですが (´・ω・`)


ベイツについてはよくわからない(問題発言w)ので省略することにして,話をコネクショニストにしぼって言えば,本書の少し後 (p.122) でピンカーは次のように書いています:

マクレランド&カワモトは,文脈における多義性の解決法をモデル化したいと望んでいた.たとえば Luke ate his pasta with a fork(ルークはフォークでパスタを食べた)や Luke ate his pasta with clam sauce(ルークはクラムソースつきのパスタを食べた)にみられる with の多義性であるとか,A ball broke the window(ボールが窓を割った)と A bot broke the window(少年が窓を割った)の主語の意味役割の解決だ.〈急進的語用論〉の考えに立って,彼らは意味の固定した表象はあまりに融通が利かなくてこの多義性解決の課題には合わないと主張し,それに対して,人工ニューラルネットワークは構造化された表象を操作するかわりに特性どうしを連合させるので,この課題に適した柔軟性をもっていると考えた.

McClelland and Kawamoto wanted to model the resolution of polysemous words in context, such as the different senses of with in Luke ate his pasta with a fork and Luke ate his pasta with clam sauce, or the different roles of the subject in A ball broke the window and A boy broke the window. In accord with Radical Pragmatics, they proposed that fixed representations of meaning are too rigid and clumsy for the task, and that artificial neural networks, which associate features with features rather than manipulating structured representations, are suitably flexible to do the job.


これをみると,どうやらピンカーの頭の中では「固定した意味表象をもたない」という点がニューラルネットワークを急進的語用論に数える理由になっているのだとわかります.もういちど,前記の定義を確認してみましょう:

急進的語用論は

(1) 文脈しだいで単語が 「ほぼなんでも」意味できるという事実認識にもとづいて;

(2) 単語に一定の概念構造が符号化されていることを否定しつつ;

(3) そうした多様な意味のバリエーションを可能なかぎり文脈と話し手の想定によって説明することを目指す

こうしてみると,たしかに,おおまかな定義には合致するようです( (1) と (2) ). とくに,一定の概念構造を否定するところをピンカーは問題視しているのでしょう.上記の文章のあとでは,そうしたアプローチの問題点を指摘しています.


ニューラルネットワーク論者が語用論者だと言われるととまどいますが,議論の趣旨に注目しておいて「語用論」というネーミングには拘泥しない方がいいのかもしれません.

つけたし.

ごく大雑把に考えるかぎりなら,ピンカーやジャッケンドフの概念意味論がベイツの考えと相容れないのは理解できます.2点にわけて言いますと,ひとつは,ピンカーが本文で述べているようにニューラルネットワーク(ベイツはこれを支持しているようです)の考えが概念意味論が前提としている表象についての考えと相容れないということ.もうひとつは,普遍文法の仮定について両者は対立するということです.

よく知られているように,チョムスキーは,連想・類推のような一般的な学習機構では言語の学習を説明できないとして,言語固有の普遍文法が子どもには生まれつき備わっているのだと主張しています.(コネクショニズムニューラルネットワークは,その「一般的学習機構」論の新しいバージョンとみなせるでしょう.) 一般的学習能力がチョムスキーらの想像以上に強力であり,かつて生得的な普遍文法抜きには学習を説明できないと思われていた知識がじつは後天的な経験によって十分に得られることが示せたならば,普遍文法を仮定する根拠はその分だけ乏しくなります.

ピンカーやジャッケンドフの概念意味論は生得的で領域固有的な普遍文法を仮定しています.これに対し,ベイツは普遍文法の仮定に懐疑的です.次のような文章がわかりやすくそれを示しています:

Bates, Elizabeth, and Jeffrey Elman (1996). 'Learning Rediscovered'. Science 274(13 Dec.): 1849-50.
(オンラインでも(一応)読めます: http://crl.ucsd.edu/~bates/papers/pdf/from-meiti/10-Bates&Elman-Science.pdf


ここでは音声についてニューラルネットワークによる研究を引きつつ,次のように書いています:

学習はかつて考えられていたのよりもずっと強力である.言語やその他の形式の認知の生得性は,この否定しがたい事実を考慮にいれる必要がある.
Learning is much more powerful than previously believed, and arguments about the innateness of language and other forms of cognition need to take that undeniable fact into account.

*1:shorebirdさんは「極端プラグマティズム」と書いておられますが,Pragmatics を Pragmatism と見間違えておられるのでしょう.

*2:余談ですが,なぜ "Radical Pragmatics" が撞着して聞こえるかと言えば,radical は「急進的」とも訳されることからうかがい知れるように伝統的・中道的な立場に対して順応的でない意味あいがあるのに対して,pragmatic には「プラグマティズム」にみられるように実用的-現実的な──したがってしばしば順応的な──連想があるためです.ピンカーは一般向けにこの本を書いているので,プラグマティックスという専門用語を読者が知らなくても当然という前提で書いているんですね.

*3:この点は,killhiguchiさんが前記のエントリーのコメント欄で指摘しておられますね.