認識様相の指標について

 英語の法助動詞があらわす認識様相には,少なくとも (a)認識主体と (b)認識の時点という2つの変数が関わっているようです.


 まず (a) の認識主体については,さきほどのエントリーで参照した Papafragou や Kratzer が言っているとおり,必ずしも話し手の認識判断とはかぎらないことがわかっています.

 以前,Semantics etc. で紹介されていた興味深い事例に,こんなものがあります:

文脈:アンは,ビルのためにサプライズ・パーティを計画している.残念ながら,クリスがそのことを知ってビルに教えてしまう.ビルとクリスは,アンが秘密裏にパーティを準備しようとがんばってるのをみて面白がっている.いまアンはパーティ・ハットをたくさん抱えてクリスのアパートを歩いて通り過ぎようとしている.彼女は,ビルがよく帰宅時に乗るバスを目にして,あわてて近くのしげみに駆け込み,みつからないようにする.ビルは,クリスのアパートの窓からその様子をみて大笑いする.でも,クリスは怪訝に思って,どうしてアンは茂みになんか隠れているのかとビルに訊く.


この文脈で次のようにビルが発話したとしましょう:

“I might be on that bus.”
〔オレがあのバスに乗ってるかもしれないんだよ〕


この might が表している認識様相は,話し手であるビルの判断ではなくてアンの判断です(この例はもともと Egan, Hawthorne and Weatherson の論文に出ていたものです).

 上記の文脈では,次のように I think の補文に I might be on that bus を埋め込むのはおかしいとのこと:

#“I think I might be on that bus.”
〔オレがあのバスに乗ってるかもしれないんだと思うよ〕


もうひとつ,(b) の認識様相に時間の変数があるらしいことは,次の事例からうかがわれます:

(a) At that point, he could/might still have won the game. (=‘At that point, it was still possible that he would win the game.’)

(b) In October, Gore still should have won the election. (=‘In October, it was still likely that Gore would win the election.’)

(Stowell 2004:631)


いずれも,過去の時点における 認識的な可能性/必然性の判断を表しています.次のような「ふつうの」用例とは異なる点に注意してください:

What was that sound? 〜 It might have been a cat.
(Swan 2005: 339)


こちらは発話時点における判断を表しています.


 認識主体と認識時点は,それぞれ話し手・発話時点を標準的な値にとるのですが,いま見た事例のように,それ以外の値もとることがあるのがわかります.


  • Andy Egan, John Hawthorne & Brian Weatherson, Epistemic Modals in Context, Gerhard Preyer & Georg Peter (eds.) Contextualism in Philosophy: Knowledge, Meaning, and Truth. Oxford UP, 2005.
  • Stowell, Tim Tense and modals, J. Guéron & J. Lecarne (eds.) The Syntax of Time. MIT Press, 2004.
  • Swan, Michael, Practical English Usage (3rd edition). Oxford UP, 2005.