(つづき)「ありがとうございます/ました」etc.


前回のエントリーでは,「ありがとうございます/ました」の時制が感謝の対象となる事柄の時間を限定している点に注目しました.
今回は,それとはまた別の側面に目を向けてみます.


「ありがとう(ございます/ました)」は,感謝の表出型言語行為に特化した表現です.
一般に,感謝の言語行為は次の形式をもっています:

(a) 話し手 S が ;
(b) 聞き手 H に ;
(c) 事柄 P について ;
(d) 感謝の心情をあらわす.


「ありがとう(ございます/ました)」の意味には,これらがすべて符号化されています.ただし,(c) の事柄 P は必ずしも言語で明示されない変数となっており,聞き手によって復元されねばなりません.「ます/ました」の時制は,(d)の感謝の心情でも「-ござい-」でもなく,この事柄Pの時間を規定しています.


このように「ありがとう(ございます/ました)」の意味は発話のいま-ここに密着していますが,この点で動詞を使った顕在的な遂行文の「感謝します」は異なっています:

a. 「(わたしは)(あなたに)感謝します」
b. 「(わたしは)(あなたに)感謝しました」(遂行文ではない)


「感謝します/ました」は,発話のいま-ここに縛られない客体的な事態を描いています.逆に,「ありがとう(ございます/ました)」は主体的な表現と言えるでしょう(R・ラネカーのいう意味において).


さらに興味深い特徴として,この2つの表現は否定の可否でも対比を見せます:

a. #「ありがとうございません」(※もっとも,検索するといろいろでてきますが・・・*1
b. 「感謝しません」(e.g.「彼には感謝しますがね,あなたには感謝なんてしませんね」とか「あ,あんたには感謝しないんだからねっ」とか)


上記の (a) が統語的には可能なパターンである点に注意してください.


なお,「ありがとう」と形態的に関連している形容詞「ありがたい」は否定できます:

「こんなものもらっても,ありがたくない」(感謝の気持ちの否定を表しているというより,対象についての否定的な評価を表している)

まとめると,「ありがとう(ございます/ました)」には,次のような特徴がみられます:

  • その意味は表出的であり,真理条件に寄与しない.
  • 発話のいま-ここに密着しており,そこから転位できない(過去時制の影響を受けるのは感謝の気持ちではなくその対象である).
  • 通常は否定を受けつけない.

こうした特徴の複合を示す表現は,他にも思い浮かびます.たとえば,次のように使われる「-やがる」はどうでしょうか:

「なんてことしてくれやがるんだ」
「テレビから離れてみやがってください」


「-やがる」も,対象に対する話し手のネガティブな態度を表出する形式で,過去時制の影響を受けず,否定もされません:

a. 「俺のおやつをこっそり食べた」
b. 「俺のおやつをこっそり食べやがった」(記述的な命題内容は (a) と同じ)

a. 「ちっとも検索にひっかからない」
b. 「ちっとも検索にひっかかりやがらない」(記述的な命題内容は (a) と同じ)

*1:検索してみつけたのですが,KENさんのこの記事はおもしろかったです